今年亡くなった名優に加藤剛がいる。大岡越前が当たり役だが、個人的には大河『風と雲と虹と』の平将門役の印象が強い。加藤は真面目でひたむきな俳優であった。実直な人柄そのままのような役を演じたのが主演映画『伊能忠敬 子午線の夢』(2001)である。
日本地図の偉人、伊能忠敬は文化15年(1818)4月13日に亡くなった。今年は没後200年にあたり、各地で記念事業が行われた。津山洋学資料館の秋季企画展「天を測り地を量る」もその一つだった。本日は伊能測量隊が津山の次に向かった場所をレポートする。
岡山県勝田郡勝央町勝間田の勝央こころざしシェアスペースは「伊能忠敬測量隊宿泊地」で、このたび県内初の設置という説明板が掲示された。このことは、昨日の毎日新聞で紹介された。
伊能の第8次測量隊は、文化八年十一月二十五日(1812年1月9日)に江戸を出発して九州各地を巡り、その帰途、一行8名は津山城下を経て、ここ勝間田にやってきた。勝間田宿は出雲往来の美作七宿の一つとして賑わった宿場町で、今もその面影を伝えるべく美しく整備されている。説明板には次のように記されている。
文化10年12月7日(新暦では1814年2月6日)夜、伊能忠敬は、「勝央こころざしシェアスペース」の地にあった、庄屋の岡富右衛門宅に宿泊しました。測量隊の一部は向かいの明石家半兵衛宅に分宿しました。
12月7日とあるが、おそらく17日が正しい。伊能隊は昼は測量、夜は天体観測と、頭が下がるような地道な努力を続けながら旅をした。ここでも天体観測を行っている。その場所がここだ。
宿泊地から約100m北に「伊能忠敬測量隊天体観測地」の説明板がある。ここは富右衛門宅の裏庭にあたるようだ。
象限儀(しょうげんぎ)を使って北極星の高度を測ったのだろう。説明板には次のように記されている。
ここ勝間田宿でも夜に天体観測を実施しました。その結果勝間田宿の緯度を「北緯35度2分」と割り出しました。
実際には「北緯35度2分22.14秒」というから、その正確さには驚くほかない。測量、観測そして修正を繰り返すことで、精緻な伊能図を描くことができたのである。
それから200年を経た21世紀、紙に描いた地図は、Googleマップに代表される地理情報システム(GIS)に取って代わられようとしている。それでも今、伊能忠敬が顕彰されるのは、コンピュータの便利さとは対極の、人間のあくなき探究心に心を動かされるからだろう。
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