「平成最後の」という冠言葉をよく耳にする。そうやって去りゆく時代を惜しんでいるのだろう。どこか卒業式の雰囲気に似ているような気がする。「昭和最後の」はちょっと不謹慎で使えなかったから、時代の終焉があらかじめ分かっているのもいいと思う。
安倍首相は施政方針演説で「平成の、その先の時代に向かって」と7回言ったそうだ。新元号が発表されるまでは「その先の時代」としか言いようがない。新元号は何だろうか。5月になれば「○○初の」が冠言葉で流行ることだろう。
平成初の横綱は第63代旭富士、昭和初の横綱は第32代玉錦、大正初の横綱は第23代大木戸。本日は明治初の横綱の紹介である。
岐阜県養老郡養老町養老公園に「横綱鬼面山碑」がある。
第13代横綱鬼面山谷五郎は明治初の横綱である。明治2年に横綱免許が授与されたが、この時43歳。史上最高齢の横綱昇進である。どのような力士だったのか。養老町鬼面山谷五郎顕彰会の説明を読んでみよう。
鬼面山は全盛時六尺一寸五分(186cm)三十九貫(146kg)の巨漢。よく米十二俵を括って一気にこれを担ぎ上げる程の怪力を有した。入幕後十七場所十四年間の、取組一九一、勝一四三、引分一六、負二四、預八の輝かしい記録を残した一面、孝心厚く郷土を忘れず…(後略)
初場所で優勝した関脇玉鷲が身長188cm、体重172kgだから、当時にあっては巨漢だったのだろう。玉鷲はモンゴル出身だが、鬼面山はここ養老町の生まれである。
養老町鷲巣に「十三代横綱 鬼面山谷五郎生誕之地」と刻まれた石碑がある。
今のところ岐阜県出身としては唯一の横綱だ。かつて飛騨乃花、恵那櫻、蜂矢という力士が幕内や十両にいたことは記憶しているが、近年はアナウンスで「岐阜県出身」を聞くことがない。
初場所は横綱も大関もグダグダで、両関脇が優勝を争った。もう一人の関脇貴景勝は直近3場所で33勝と、大関昇進が期待されたものの様子見となった。引退した稀勢の里が横綱としてほとんど活躍できなかったこともあって、相撲協会は横綱や大関の昇進に慎重になっているという。
それでも、平成最後の春場所で玉鷲が好成績だったら、やはり大関に昇進するだろう。そうなると、昭和以降で最高齢の大関昇進だそうだ。「平成の、その先の時代初の」横綱には、いったい、いつ誰が昇進するのだろうか。楽しみに待つこととしよう。
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