絶えで魚荷(うおに)とぶや渚の桜鯛
桜鯛が飛ぶように売れてるがな。さすがは春や。これは井原西鶴の句で、在原業平の絶唱「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」を本歌としている。桜をしみじみと愛でているのではなく、鯛の美味い季節だから商売繁盛!と威勢がいい。この西鶴を松尾芭蕉は、「西鶴が浅ましく下れる姿あり(去来抄)」と厳しく批判したという。
名古屋市中区錦三丁目のテレビ塔近くに「蕉風発祥之地」がある。
芭蕉以前の俳風には貞門、談林があり、西鶴は談林の代表的な作家である。ざっくり言えば、冒頭の句のように技巧的だが奥深さがない。この俳諧を芸術にまで高めたのが芭蕉らの蕉風である。後世の俳人から理想視されるなど、短文学の歴史に一大潮流を成した。名古屋市教育委員会による説明板を読んでみよう。
この地は貞享元年(一六八四)の冬、芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中名古屋に立ち寄り、岡田野水(やすい)・山本荷兮(かけい)・坪井杜国(とこく)・加藤重五(じゅうご)ら土地の青年俳人らと、七部集の第一集「冬の日」の歌仙を興行したところである。
この「冬の日」こそ芭蕉がことばの遊戯でしかなかった俳諧を、初めて芸術の領域まで向上させたといわれた句集で、この歌仙を興行した場所を「蕉風発祥の地」とよんでいる。
その場所は「宮町筋久屋町西入南側、現在のテレビ塔東北の脚のあたりと推定されている。
歌仙とは連句の一種で、前の句に関連させながら作句する高度な連想ゲームである。どのような句が詠まれたのだろうか。石碑を読んでみよう。
笠は長途の雨にほころび紙衣はとまり/\のあらしにもめたり佗つくしたるわび人我さへあはれにおぼえけるむかし狂歌の才士此國にたどりし事を不圖おもひ出で申侍る。
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉
たそやとばしる笠の山茶花 野水
有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮
かしらの露をふるふあかむま 重五
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき 杜國
日のちり/"\に野に米を刈る 正平
笠は長旅の途中の雨でボロボロになり、折々の嵐でよれよれになりました。侘びを大切にする私ですが、自分でも哀れに思えます。仮名草子で知られる竹斎が名古屋にやって来たことを、ふと思い出しましたよ。
芭蕉「ボロボロの姿で酔狂な旅をする私は竹斎に似てますかな」
野水「飛び散った山茶花を笠にのせて現れたのはどなたでしょう」
荷兮「初冬に輝く星が見え始めました。酒造りも始まりますね」
重五「馬もブルっと震えて露を払いながら待っていますよ」
杜國「朝鮮から来たという細いススキでは風景が映えませんね」
正平「傾いた夕陽を背に稲刈りする人がシルエットで見えますよ」
上記は我流な解釈だから、西鶴に比べて芸術性が高いかどうかも分からない。桑原武夫の「第二芸術論」という俳句批判を思い出す。芭蕉が作ったから良句だと感じ、難解な句であっても奥深いと理解しているのではないか。
良句と駄句の境界はあるのかとエラそうなことを言ってはみたが、「プレバト!!」で夏井先生が添削すると駄句が良句へと変化するのは確かだから、言葉遊びと芸術とはやはり違うのだろう。
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