「グレート・ギャツビー」を読んで、1920年代のアメリカにあこがれるもよかろう。サントリーオールドのグラスを傾けながら、あの頃の自分を振り返るもよかろう。過ぎ去りし時代は、戻れないからこそ輝いて見える。時代には特有の息吹があり、それを映画や音楽を通して感じ取る。そんな楽しみ方もあるだろう。
趣味の世界なら同好の士と共に楽しめばよいのだが、政治の世界では楽しむにとどまらない。例えば「日本を、取り戻す」とか「教育再生」という言葉がある。ここには、今よりも昔がよかったという思いがある。過去に理想を求めているのである。
いつの時代を理想と見ているのか。私は二つあると思う。一つは1960年代の高度経済成長期である。生活を一変させ、何事も右肩上がりが当然と思われた奇跡の時代だ。もう一つは明治時代である。我が国は近代国家として発展し、国民としての誇りが高まっていく。この時、国民としての一体感の醸成に求心力を発揮した人物がいた。明治天皇である。
明治、大正、昭和と三代の天皇がいるが、ずいぶんとイメージが異なる。昭和天皇はあまりにも激動の時代を生きたので評価が定まっているとは言えない。大正天皇は明治と昭和という大きな時代に埋もれるかのように印象が少ない。
明治天皇は、司馬遼太郎の描くような輝かしい時代の象徴であり、小学校の社会科では必修の人物である。『坂の上の雲』とからめるつもりはないが、本当に雲の上の存在であった。本日は超VIPのもてなし方をレポートする。
備前市香登本の大内神社境内に「香登一里塚」がある。市指定の史跡である。
「一里塚」という言葉は距離にも時間においても使われる。人生を旅に例えるのは、洋の東西を問わない。芭蕉は「行き交う年もまた旅人なり」と表現し、英語にはLife is a Journey.という言い方もある。人生の節目もまた同じだ。「冥土の旅の一里塚」と言うし、Milestoneも本来は距離の節目だが時の流れにおいて使われることが多い。
距離を示す「香登一里塚」の石垣の上には、標柱と春日燈籠があるばかりだ。かつては榎の大木があったという。備前市教育委員会の説明板を読んでみよう。
一里塚は、江戸時代に街道の一里(約四キロ)ごとに造られた塚で、榎や松などが、植えられていた。香登一里塚は、近世山陽道の道沿いに南北一対造られたもので、北塚は、当神社の境内に往時の姿をしのばせている。北塚は、南北長七メートル、東西幅五メートル、南側の高さ一・八メートルで、周囲は石積みで囲まれている。市内に一里塚で当時の面影が残っているのは、この北塚だけである。街道の南側にあった南塚は、明治二十年(一八八七)頃、塚石を使用して「用心井戸」にしてしまった。その井戸はあるが、一里塚の面影は全く残っていない。
目印となる木が失われてしまったが、それでも往時の面影を残すのはここだけである。それゆえ史跡に指定されているのだろう。南北一対あった一里塚のうち、南塚は明治中期に失われて井戸になっているという。
確かに井戸はあるが面影はなく、古そうな文字だけが時代を感じさせている。ここは東西交通の要路、近世山陽道で、香登は片上宿と藤井宿の中間に位置していた。江戸時代には公式な宿場ではなかったが、明治の代となってVIPが訪れたことが記念碑として示されている。
備前市香登本に「明治天皇香登御小休所」と刻まれた標柱がある。
明治十八年八月七日のことである。六大巡幸の最後となる山陽道巡幸において、その日の朝に岡山の後楽園を出発した明治天皇一行は山陽道を東に向かい、香登の楠原熊男宅で小休止した。この時のようすは、次のように記録されている。『和気郡史』通史編下巻1(引用元:備作教育第三三四号「明治大帝岡山県御巡幸史」)より
午前拾時三分着御、約一時間許(ばか)り御宸憩(しんけい)あらせらる。其の間厠(かわや)へ参らせられしにより、湯桶に湯を入れ手桶に水を入れ差し出せしに、陛下には水を御使用遊ばさる。尚ほ、御飲料として函館氷を布に包み、打ち割りて『カチワリ』となし奉りしを、コップに半分位召し上り給う。
10:03に到着して、一時間ほど休憩した。その間、トイレに行き、手洗い用に湯と水を用意したところ、天皇は水を使った。さらに、甲子園でもないのに「かちわり氷」を召し上がったという。さすがは超VIP。冷蔵庫のない時代の真夏に氷を口にしたことのみならず、トイレまで記録されるとは。
天皇陛下の長距離移動は、現代なら鉄道か飛行機だ。鉄路の不十分な時代に明治天皇は海路と陸路で巡幸を続けた。江戸から明治にかけて栄えた山陽道には今、静かな時が流れている。明治天皇の通過は、山陽道最後にして最大のイベントだったに違いない。
心が落ち着く素敵な街道筋でした。ありがとうございました。
投稿情報: 玉山 | 2019/11/09 22:00
大内神社にご参拝ありがとうございました。
投稿情報: 大内神社権禰宜 | 2019/11/05 21:57