いよいよドローン物流が始まるというのか。2025年までの「空飛ぶクロネコ」実現を目指し、ヤマトHDが開発を急いでいる。時速160㎞超、最大450㎏を数百キロ輸送できるという。嗚呼、トラック野郎が懐かしいぜ。
津山市宮尾に「中須賀舟着場石灯籠」がある。津山市指定の史跡である。
まず写真の説明をしよう。カメラは吉井川の右岸から南に向けている。川の流れと同じ方向だ。左に見えるのは錦橋で旧出雲街道の一部である。この位置関係を念頭に説明板を読むと、理解が容易となる。
中須賀船着場石灯籠
中須賀は、吉井川の船便を利用し、下流にある備前国との交易をする物資の集積地として、また宿場町として栄えた地で、出雲街道の要衝のひとつであった。
ここにある三基の灯籠は、航路の安全を祈る為に建てられたもので、出雲街道の両側に伊勢神宮内宮・外宮(明治元年十一月吉日)の石灯籠が、また、吉井川沿いには金比羅宮(嘉永七年十月吉日)と刻まれた石灯籠が建てられ、常夜灯として昭和十年代頃まで各家順番で点火していたということである。
その後、これらの石灯籠は、河川改修によりこの場所に集められ、現在に至っている。
久米町教育委員会
燈籠が三基並ぶのは昔そのままの風景ではないが、刻まれた文字情報を手がかりに意義を考えよう。出雲街道の両側には「伊勢神宮内宮・外宮」の石燈籠があった。すべての道は伊勢に通ずと言ったかどうかは知らないが、この地域からもお伊勢参りに出掛けた人は多かったに違いない。
そして、吉井川沿いにあった「金比羅宮」の石燈籠は、水運の神様だから当然だろう。当時の河川交通の重要性は、今日では想像できないくらいだ。吉井川の流れは陽を反射して美しいが、高瀬船が通行するには水量が少ない。荷の上げ下ろしはどのあたりでどのようにしたのだろうか。高い堤防の下は草が繁茂してよく分からない。
河川において交通の役割がなくなってから、利水あるいは治水が重視されるようになった。改修が進んで、当時の景観もずいぶん変わってしまったのかもしれない。ただ三基の石燈籠だけが、ヒトとモノが行き交う要衝であったことを静かに伝えるのみである。
川から道へと物流路は大きく変化した。そして次は、空に物流網が張り巡らされるのだろうか。天網恢恢疎にして漏らさず。AIの時代だから何でもできそうな気がする。確実に言えるのは、「突撃一番星」のようなドローン野郎は出現しないということだ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。