まっすぐに突き進むのは、それはそれで美学だ。進むからこそ新しい世界が開けるというもの。パイオニアの伝記からは一歩踏み出す勇気をもらうことができる。それでも私は思う。「引き返したっていんじゃね?」「よくがんばったよ。おつかれさま」
本日は引き返すための貴重な施設を、美作の山中からレポートする。
津山市加茂町山下の美作河井駅構内に「因美線美作河井駅転車台」がある。
写真の方向に進むと3kmにも及ぶ長大な物見トンネルに入り、鳥取県へと進んでいく。ここは岡山県最北端の駅なのだ。交通の要衝でもない山中の駅に転車台があるのはなぜか。みまさかローカル鉄道観光実行委員会による平成25年発行のリーフレット「因美線美作河井駅転車台」が、駅舎内に掲示されているので読んでみよう。
明治初期に輸入された美作河井駅40ft桁の来歴はまだ解明できていません。鉄道黎明期にどこかの主要駅か機関車庫の横に置かれ、後年転用されたと思われます。機関車ではなくラッセル車の方向転換に使われたようですが、いつ設置されたのかも明らかではありません。円形レールは1950(昭和25)年に八幡製鉄所が製造したもので、美作河井駅に転車台が置かれた時に敷設されたものだと思われます。その摩耗状態から、列車本数の多い幹線で3年程使われた後、美作河井駅にやってきたと考えられます。
おそらく昭和28年頃設置では、と考えられているようだ。用途はラッセル車の方向転換である。このあたりの雪深さは、雪に縁遠い私には想像すらできない。転車台は使われなくなって久しいようだが、今年の冬もしんしんと雪が降り積もることだろう。
40ft桁の転車台は全国的にも貴重で、平成21年には、「近代化産業遺産群 続33」のうち「10.全国に遍く人と物を運び産業近代化に貢献した鉄道施設の歩みを物語る近代化産業遺産群」の構成遺産として認定された。陰陽を結ぶ重要路線の保守に貢献した転車台である。
ラッセル車は引き返すことができても、政治の流れは引き返すことができなくなることがままある。日本であれば韓国との関係、アメリカであればイランとの関係がそうだろう。相手が妥協の意思を示しているうちがチャンスだ。追い詰めれば勝てると勘違いしてはならない。日中戦争の泥沼から引き返せなくなった我が国はよく分かっているはずだ。
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