オオカミなんて見たこともないが、神様になっているくらいだから、確かに存在していたのだろう。象のようなガネーシャが、象の棲むインドで神様になっているように。本日は商売繁盛のガネーシャではなく、盗難悪疫除けのオオカミ様のお話である。
津山市桑上にある貴布禰(きぶね)神社の境内社に「奥御崎神社」がある。通称の「狼様」のほうが通りがよい。このお札は本社拝殿に掲げられていたものだ。
貴布禰神社の総本社は京の貴船神社で、その貴船神社もかつては上賀茂神社の摂社だった。そして、桑上のあたり一帯は中世に倭文荘(しとりのしょう)という荘園で、領家は上賀茂神社であった。地元の秀実小学校の修学旅行生は、今も上賀茂神社を訪れているという。
社殿の裏面には狼が通るという穴があけられている。白いものは塩で、狼様の好物だそうだ。籠も用意されており、袋に入ったままの塩が供えられていた。実際のオオカミに塩を好むという習性はないようだが、塩を与えると人に危害を加えないなどの伝説が全国に分布している。
近くに「狼の足跡石」もある。毎年12月13日~15日の霜月大祭では、この足跡石にも塩が盛られるそうだ。絶滅してしまったオオカミは、神様となって人々の心の中に生き、穏やかな暮らしを守っている。
では、なぜオオカミがこの地に祀られるようになったのだろうか。島田秀三郎『心のふるさと美作伝説考』(日本文教出版)には、次のように紹介されている。
昔、備前の国守坂上田村麿が、美作の草賊を討伐した時、この地で地勢に詳しい山賊の群れに待ち伏せをされて敗れ、田村麿は危地に陥ちた。その時、一天慌かにかき曇り、沛然たる夕立ちになり、何処からか現われた土佐犬のような白狼の群れに救われた。田村麿は小祠を建てて狼宮と名付けた。
話としては面白いが、坂上田村麻呂は備前守になっていない。父の苅田麻呂は任官しているので、混同したとも考えられるが、いずれにしろ荒唐無稽な伝説である。それよりも説得力のあるのが御祭神由来説だ。祭神の高龗神(たかおかみ)と闇龗神(くらおかみ)の「おかみ」から「おおかみ」を連想するようになった、というものである。
オオカミの恐怖が身近だった時代には、「おかみ」と「おおかみ」は単なる言葉遊びではなかったはずだ。「おかみ」は龍神である。龍神は人を守りもするが、恐怖に陥れるくらい暴れもする。恐ろしいオオカミならば、泥棒であれ悪疫であれ、おののき退散するに違いない。
「おかみ」が「おおかみ」に転訛しても、息災を願う信仰の対象としては何ら変わりがない。むしろ具体的なイメージのできるオオカミだからこそ、いっそう信仰心が高まったのではないだろうか。
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