昨秋の台風19号で「広戸風」が発生し、法然上人ゆかりの大イチョウの枝が折れてしまった。10月12日午後2時37分に、岡山県奈義町では最大瞬間風速33・5メートルを観測している。以前に四国中央市の「やまじ風」を紹介したことがあるが、これと並び称される暴風である。
広戸風は台風の直撃ではなく、台風が四国沖を通過するときに発生することが多い。鳥取県を流れる千代川のV字谷によって北風が収束し、那岐山を越えて南麓を一気に駆け降りる。しくみは六甲おろしと似ているが、颯爽と蒼天翔けるわけではない。
岡山県勝田郡奈義町豊沢に「風神社」が鎮座する。
もちろん「風」は広戸風である。どのような神社なのか、説明板を読んでみよう。
祭神
龍田神社 天御柱命・国御柱命
神徳 五穀豊穣、除難多幸、交通安全
八坂神社 素盞鳴尊
神徳 諸災祓、病気平癒、商売繁盛
由緒
横仙地方(奈義町・勝北町)は、昔から広戸風(台風時期)と呼ばれる局地的強風が、毎年のように吹き荒れる。
これを鎮めるため、この地に奈良県生駒郡の龍田大社(風の宮)及び、京都市東山の祇園神社から御分霊を勧請した。神社創建の時期は定かでないが、19世紀の初め頃か、と思われる。
横仙一帯の崇敬者らにより、龍田様または祇園様とも呼ばれているが1952年〔風神社〕という名称で神社本庁に提出された。
1997年国道53号の道路拡張に伴い、全社地が買収され、その南50メートルの現在地に、同年7月28日風神社の新築移転が完成した。
社殿は新しいが歴史は古い。土地の人々は暴風を相手に神とともに闘ってきたのだ。ここで注目したいのは、生駒の龍田大社を勧請していることである。大社が「風の宮」と呼ばれることにちなんでのことだろうが、風とどのような関係があるのか。『日本書紀』天武天皇四年四月十日条を読んでみよう。
癸未、小紫美濃王(みののきみ)、小錦下佐伯連広足(さへきのむらじひろたり)を遣じて、風神(かぜのかみ)を龍田(たつた)の立野(たつの)に祠らしむ。又、小錦中間人連大蓋(はしひとのむらじおほふた)、大山中曽祢連韓犬(そねのむらじからいぬ)を遣わして、大忌神(おほいみのかみ)を広瀬(ひろせ)の河曲(かはわ)に祭(いは)はしむ。
675年、天武天皇が高級官僚を派遣して、風の神様を祀る龍田大社(奈良県生駒郡三郷町立野南)、農業用水をつかさどる大忌神を祀る廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町川合)を建てた。風害を免れて豊作を祈願するためで、両社の祭祀は同日に行われていたという。
三郷町立三郷北小学校の校歌(4番)には「信貴山おろし吹きあれてこおる朝の校庭に」という歌詞があるから、龍田大社の地でもおろし風が吹くのだろう。古来から人々は被害だけでなく恵みの雨を運んでくる風を神として祀り、土地の豊穣を祈ってきた。
那岐山麓に暮らす人々は広戸風の恐怖に加え、大きな川がないので水の確保にも苦労してきた。風神社を創建したのも単に風を鎮めるためでなく、風が「五穀豊穣」を運んでくれることを期待していたのである。
我が国にコロナ禍という嵐が吹き荒れていた。ここのところ鎮まったように感じるが、二波、三波が来るともいう。ウイルスを恐れてというより、人の目が怖くて自粛を続けている状況だ。風神社のご神徳には「病気平癒」だけでなく「除難多幸」「諸災祓」もあるではないか。どうか嵐が終息しますように。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。