酒は古くなると酢になるという迷信を信じていた。この世に「古酒」があるのを知ったのは、三朝温泉の藤井酒造という造り酒屋に立ち寄ったときのことである。その折、私は試飲できなかったが熟成香に興味があったので、迷うことなく買って帰った。
いや実は少し迷った。熟成期間によって値段がずいぶん違う。何年ものにしたのか忘れてしまったが、「お値段も中くらいなりおらが酒」である。
鳥取県東伯郡三朝町大字三朝に「株湯」、三朝温泉発祥の地がある。
湯屋前に銅像がある。中世の武士に犬、いや説明を読めば狼だとわかる。両者のポーズに緊張はなく、目線を合わせ対話しているようだ。何があったのか、像前の説明を読んでみよう。
三朝温泉の発見
大久保左馬之祐と白狼
むかしむかし、大久保左馬之祐ちゅう源義朝の家来が、主家再興の祈願をするため、三徳山にお詣りになった。その途中、ごっついくすの木の根株に、年ぃとった白い狼がおるのを見つけ、すぐに弓で狼を討つってしなったが、「まてよ殺生はならんならんぞ」と思いなおし、見逃がしてやんなっただっていな。そしたらその夜うさ、妙見菩薩が夢枕に立ちなって、使わしめである白狼を助けてごいた礼だと言って、「かの根株の下からは、湯が湧き出ている」と教えてごしなった。
それからずうっと三朝の湯は、こんこんと湧いて八百何十年にもなっとるちゅうこってす。
三朝温泉は2014年(平成26年)に開湯850年を祝ったというから、長寛二年(1164)の開湯となる。平治の乱に敗れた源義朝が尾張で謀殺されてから4年。平清盛は朝廷内で急速に地位を向上させていた。いっぽう義朝の子の頼朝は伊豆へ流罪、義経は仏門に入る。家来の大久保左馬之祐は、はるばる三徳山までやってきて源氏再興を祈願したという。
結果的に源平の争いは源氏の逆転勝利に終わり、左馬之祐の祈願は成就することとなった。こうしてみると、白狼は主家再興の瑞兆であり、温泉の湧出は妙見菩薩の恩寵であったように思える。源頼朝も千葉神社の妙見様に平家打倒を祈願して、武運を開いたという。
そして銘酒「白狼」が生まれた。三朝にこれほどふさわしい銘柄があるだろうか。これを呑んでから、ちょっとした古酒ブームが脳内に巻き起こり、いろいろと試してみるようになった。こうして美味し酒に浸ることができるのも、妙見菩薩のおかげと北天に向かって手を合わせ、少々酔いの回った頭を垂れるのであった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。