古池や 蛙飛び込む 水の音
The old pond, aye! / And the sound of a frog / leaping into the water.
これは明治のお雇い外国人で東京帝国大学教授のバジル・ホール・チェンバレンによる英訳である。感動の切れ字「や」を感嘆詞「aye」で表現する所が気に入った。この先生は日本の古典に詳しく、「古事記」そして「君が代」まで英訳しているようだ。
このチェンバレン先生と親しくしたのが、同じく日本在住の外国人ラフカディオ・ハーン、小泉八雲であった。へるんさんゆかりの地は松江の市街地に多く点在しているが、鳥取県内にもあるので訪ねてみた。
鳥取県東伯郡琴浦町八橋に「小泉八雲・セツ来訪記念碑」がある。
有名人なら新婚旅行先でさえ観光名所となる。坂本龍馬はお龍と霧島に行って天の逆鉾を引き抜いたという。小泉八雲はセツとこの地にやって来た。赤石に刻まれた説明文の一部を抜粋しよう。
1891(明治24)年、セツと出会い、のちに結婚します。「耳なし芳一」で有名な『怪談』をはじめ、その後の著名な作品はセツの協力で完成しました。
同年8月、日本海に沿って二人で伯耆旅行をしたおり、八橋、逢束を訪れ、そのときの印象を友人のチェンバレン東京帝国大学教授宛の手紙にしたためています。
盆踊りに大変興味のあった八雲はセツと八橋の人たちと一緒に逢束の盆踊りを見に出かけました。逢束の人たちは、外国人が見物に来たというので、はしゃいで少しいたずらをしました。翌日陳謝されて「こちらが恥ずかしいほどであった」と記しています。
現代の私たちでさえ生身の西洋人と会うことは少ない。明治半ばであればさらに珍しい出来事だったろう。チェンバレン先生の英訳「古事記」に誘われて日本にやって来た八雲は、民俗学にも関心があり、熱帯地方の踊りと比較しながら盆踊りを観察したという。逢束の盆踊りは今では県の無形民俗文化財に指定されている。この地で体験した感動をチェンバレン先生に次のように報告している。
八橋は静かできれいです。旅館もどこよりもよい宿です。不思議なことに海では誰も泳いではいません。それで私が水泳をすると町じゅうのひとが来て見物します。
ここでも盆踊りがありません。私は八橋ではとても愉快でした。眠り、食べ、泳ぎ、まったく快適です。逢束では、特別な冒険をしました。
~友人チェンバレン教授宛の手紙より~
黒石に刻まれた碑文である。八雲が泳いだ八橋海水浴場は、コロナ感染防止が徹底できないとの判断で、今夏の開設を断念したそうだ。逢束盆踊りはどうなのだろう。人間生活には節目節目に欠かせない行事がある。せめて精霊への感謝と交歓の場は確保できたらと思う。ご先祖あっての我々なのだから。
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