来年450年となる比叡山焼討は、信長による旧勢力打倒の象徴である。心優しく信仰心の篤い光秀も大活躍で、信長から与えられた門前町坂本に壮大な城を築くこととなる。比叡山延暦寺では9月12日に、数千といわれる犠牲者の霊を慰めるため450回忌の法要を執り行った。慰霊は怨親平等の思想に基づき、敵である信長も含めて行われたそうだ。
焼討当時の比叡山トップ天台座主は第166世の覚恕である。正親町天皇の弟で覚恕法親王として大河『麒麟がくる』にも登場するが、実際には親王宣下はしていないらしい。演じるのは春風亭小朝、『軍師官兵衛』では光秀を演じていた。
現在の天台座主は第257世の森川宏映猊下で、ローマ教皇フランシスコ聖下とも核兵器廃絶を固い握手で確認し合うなど、我が国が誇る偉大な宗教家である。現在は来年の宗祖伝教大師1200年大遠忌に向けて準備を進めていらっしゃる。
本日は天台宗の長い歴史の中でも初期に活躍した第3世天台座主、円仁の話をすることにしよう。
美作市湯郷に「円仁法師像」がある。
ここは美作三湯として名高い湯郷温泉である。法師が温泉に浸かりにやってきて、「これぞ極楽浄土じゃわい」と言ったというのか。日本の浄土思想の始まりは円仁にあるともいわれる。ともかく、副碑の碑文を読んでみよう。
比叡山第三世天台座主慈覚大師円仁が貞観貮年作州行脚の祭文殊菩薩が化身白鷺に導かれ湧出温泉を発見せしが湯郷白鷺湯の由来なり
文殊菩薩に導かれて温泉を発見したという。最後の遣唐使の一員として入唐し、聖地五台山で感得した奇瑞により文殊菩薩への信仰を深めた円仁だから、このようなこともあるだろう。湯郷温泉開湯は貞観二年、西暦860年のことである。
ただし、閑さやの芭蕉の句で知られる立石寺も円仁法師が開いたのも貞観二年というし、以前に紹介したことのある正子内親王(淳和天皇の皇后、承和の変による廃太子の母)に菩薩大戒を授け奉ったのも貞観二年のことである。しかも当時は天台座主として宗教界のトップリーダーを務めていた。超高速巡礼行脚だったのだろうか。
兵庫県美方郡新温泉町湯(ゆ)の湯村温泉源泉「荒湯」に「慈覚大師像」がある。観光客がゆで卵を作っている。
湯村温泉は嘉祥元年(848)に慈覚大師円仁が開湯したと伝えられている。前年に唐から帰国したばかりの法師は、長年の疲れをいやす温泉を求めてこの地に来たのだろう。いや実際にはそれどころではなく、横川中堂を建立するなど比叡山の堂宇整備に邁進していた。
温泉業界も今年はコロナで大変なようだ。GoToトラベルで賑わいが戻ってきたとも聞くが、感染者の再増加も報道されており、気が抜けない状況だ。温泉に行きたいが、仕事柄そんな場合じゃないという人も多い。おそらくは、円仁法師もそんなお気持ちだったのではあるまいか。
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