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唐臼(久米廃寺)、石の釜(惣爪塔跡)、いぼ石(小窪廃寺)と塔心礎はさまざまに呼ばれる。岩に開けられた美しい円形の穴が、人々の想像力を掻き立てたのであろう。塔心礎にも大小あるが、本日紹介するのは日本最大級だとされる。念のためネット検索すると、香芝市の尼寺(にんじ)廃寺では3.8m四方という塔心礎が発掘され、やはり日本最大級と呼ばれているようだ。
鳥取県岩美郡岩美町岩井に国指定史跡の「岩井廃寺塔跡」がある。ヒマワリが小さいのか、穴が大きいのか。
今は広い空き地になっているが、ここにはかつて岩井小学校があり、その玄関前にこの塔心礎があったようだ。いったい何層の塔だったのか、説明板を読んでみよう。
岩井廃寺「弥勒寺(みろくじ)」塔跡由来
弥勒寺は今から約千二百年前の白鳳期に創建されたもので礎石は三重塔の心礎石であり古くより「鬼の碗(わん)」と呼ばれている。
この礎石は横三メートル六十三センチ、縦二メートル三十六センチの日本最大級のもので、円口外縁に高さ三センチ、一辺一メートル四○センチの方形造りだしをもつ白鳳期の特徴を示しており、出土瓦も白鳳期より平安初期にわたる三種に分類され、寺院修築の年代を示すものと注目されている。
付近には金堂が建立されていたと思われる「弥勒堂」、南におよそ百メートルの「大門」などの地名はかつての寺院規模を考えさせる。
昭和六年十一月二十六日、史跡として文部大臣の指定を受けている。
平成十八年八月 岩美町教育委員会
通称は「鬼の碗」だ。そりゃそうだろう、こんな巨大なお碗は鬼にしか持てない。このお碗が豪壮な三重塔を支えていたのだろうか。白鳳期における仏教の地方進出は私たちの想像以上に盛んである。岩井廃寺は、向かって左側に瓦葺きの金堂、右に塔をもつ法起寺式伽藍配置だったようだ。
この寺で人々が祈ったのは、どのようなことだったのだろうか。経典の講釈ばかりでは、ついてこれる人は少ない。やはり現世利益の要素は欠かせなかったろう。私も先日、神前で合掌した際に「とにかく早くコロナが終わりますように」と祈ったばかりである。
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