今年の正月は何もしなかった。初日の出を見に行かず初詣をせず、もちろん初夢も見ていない。めでたさも中くらいどころか、深刻な事態であった。新規感染者数は高止まりのまま推移し、休み明けに感染爆発の様相を呈した。そして現在の緊急事態宣言に到るのである。事態の収束を願って、クイズから始めよう。
桜井市に始まり鳥取市で終わるもの、なーんだ? 雄略天皇に始まり大伴家持で終わるもの、なーんだ? もうお分かりかもしれない。『万葉集』である。その巻末を飾る歌を大伴家持が詠み、歌碑が鳥取市に建てられている。
鳥取市国府町庁に「万葉の歌碑」がある。
一番手前にある標柱には「因幡国庁旧址 鳥取県」とある。これについては以前の記事「心のふるさと因幡の原風景」で紹介した。この穏やかな風景のもとで、どのような万葉歌が詠まれたのだろうか。ここには歌碑が三基あり、説明板も3つ設置されている。一番左の説明板がすべてを物語ってくれるので読んでみよう。
市指定文化財 史跡
万葉の歌碑
庁の集落には高さ三メートルもある自然石に、大伴家持がうたった歌が彫られています。 大伴家持は、天平宝字二年(七五八)六月に因幡の国守に任ぜられました。
翌年の正月一日に、新年の宴で『新たしき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)』と歌いました。「新しい年の始めの今日も雪が降っています。今年もこの降り積もる白い雪のように良い事が重なりますように…」という意味です。この歌碑は、大正十一年に建てられました。
家持は、大納言大伴旅人の長男です。若い頃から和歌を作ることにすぐれ、万葉集には、たくさんの家持の歌が納められていますが、この祝いの歌は、万葉集四、五一六首の最後をかざっています。
この歌碑の右側に、万葉集の第一人者であった佐佐木信綱氏が、家持の歌をほめたたえて『ふる雪の いやしけ吉事 ここにして 歌いあげけむ 言ほぎの歌』と、よまれています。
また、左側の三角形の石には、『藤波の 散らまくおしみ ほととぎす 今木の丘を 鳴きて越ゆなり』と彫られています。作者は分からないそうですが、家持の歌だという人もいます。「こぼれ散る藤の花を惜しむように向こうの今木山へホトトギスが鳴いてゆく…」という意味です。
これらの歌碑は、昭和三十九年に家持の歌が作られてから一二〇〇年経ったのを記念して建てられたものです。
平成二十一年十月 鳥取市教育委員会
文化財名が「万葉の歌碑」であるが、史跡として指定されている。家持が歌が詠んだ地として歴史的な価値が認められているのだ。写真真ん中の家持歌碑には、次のように刻まれている。
天平宝字三年春正月一日於因幡国庁賜饗国郡司等之宴歌一首
新年之始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家余其騰
右一首守大伴宿弥家持作之
大正十一年九月
鳥取県知事正五位勲四等岩田衛書
大正十一年は、ワシントン海軍軍縮条約の締結、全国水平社、日本農民組合、日本共産党の結成と、「平和」「人権」の機運が高まりを見せていた。その後の歴史は決して「吉事」が重なったわけではないが、今も評価される出来事が多く、新たな時代が幕を開けるかのような勢いがあった。
この家持の名吟にリスペクトして、近代短歌の大御所で文化勲章の第1回受賞者である佐佐木信綱が詠んだ歌が、右側の碑である。説明板を読んでみよう。
市指定文化財 史跡
佐佐木信綱の歌碑
ふる雪の いやしけ吉事 ここにして 歌いあげけむ 言ほぎの歌
この歌は、万葉集の第一人者であった佐佐木信綱氏(一八七二~一九六三)が、真ん中にある歌碑の大伴家持がよんだ、『新たしき…』の歌をほめたたえてよみました。
平成二十二年三月 鳥取市教育委員会
「ことほぐ」という言葉は「寿ぐ」とも「言祝ぐ」とも書く。「おめでとうございます」と言葉に出してお祝いする。言葉には言霊、すなわち魂が宿っているから、言ったとおりの出来事が現出する。好き言葉は好きことをもたらすのだ。逆もまた然り。
左側の三角形の歌碑についても説明板があるので読んでみよう。
藤浪の 散らまく惜しみ ほととぎす 今木の丘を 鳴きて越ゆなり
万葉集 歌人不明
今木は、新しく来るの意味で上古新しい技術を身につけて、大陸から来た人人の住んでいた土地である。あの格調高い岡益の石堂も、あるいは、この人たちの遺構であるかも知れない。
この歌は『万葉集』巻第十「夏雑歌」に掲載され、歌番号は1944である。原文では次のように表記されている。
藤浪之散巻惜霍公鳥今城岳𠮧鳴而越奈利
ここ鳥取市では、「今城岳」を「今木の丘」、つまり因幡三山の今木山と解釈し、家持が詠んだのではと推測している。ところが奈良県吉野郡大淀町今木の泉徳寺仁王門にも、この歌の歌碑がある。どちらの今木が正しいのか。
この一年間、ニュースのトップは必ずコロナであり、コロナでなければ異常気象だ。感染者数の「過去最多」も何度も聞けば驚かなくなっていたが、ここのところ緊急事態宣言の効果でやっと右肩下がりになった。
着物に「よきこときく」という文様があるが、本当にそうありたいものだ。今こそ好い言葉を発して、よいことを呼び寄せたい。声に出して読みたい万葉歌、それは4516番の家持の歌がもっともふさわしいだろう。
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