西のノイシュバンシュタイン城、東の姫路城と並び称されるのかどうかは知らないが、姫路城は我が国が誇るべき世界遺産である。この春に終了したNHK「歴史秘話ヒストリア」の最終回に採り上げられた3つの秘話は、「邪馬台国はいずこに」「姫路城 白き輝き」「信長はマジメだった!?」だった。姫路城はまさに、日本史三大エピソードの一つなのである。
姫路を姫路城抜きに語ることはできないが、姫路城抜きで語った展覧会が令和元年に開かれた。特別展「お城ができる前の姫路」である。お城の隣にある県立歴史博物館が、お城を完全スルーするという大胆不敵な、いや意欲的な展覧会を成功させた。
姫路市五軒邸の正明寺境内に「板碑」がある。
まず感心したのは覆屋である。上部の隙間から入った光がダークな直線文様を照らして、後光が差しているかのように見える演出だ。文化財としても見た目にふさわしい価値を有している。説明板を読んでみよう。
「板碑」兵庫県県指定重要文化財
高さ二二〇cm、幅六八cm、厚さ三〇cm。正面上部に舟形輪郭を彫り阿弥陀如来坐像を刻出、膝下に台付き香炉と蓮華座を刻出。蓮華座の下に貞和二年(一三四六)造立供養の刻銘、その下に明治九年(一八七六)姫山の土中から発見され、姫山に正明寺があった事から世話人たちにより移設した経緯の刻銘がある。
頭頂部は平らに改造され千姫居館として造成され姫路城内武蔵野御殿(宝永(一七〇四~○九)頃まで残っていたという)に手水鉢として転用されていたという。
平成二十八年三月 姫路市教育委員会
姫山は姫路城のある丘である。中世にはこの丘に正明寺があり、その境内かどうかは分からないが、おそらく板碑もあったと考えられる。展覧会図録の解説によれば、姫山には天満社が確実にあり、富姫社の存在も想定可能だという。その上で、次のように指摘している。
この板碑も合わせてみると、中世の姫山は寺社が周囲に点在する霊場的な空間であったのではないかとも推察される。お城ができる前の姫山の風景を知る手がかりとなる板碑である。
板碑の存在意義が分かりやすく示されている。板碑や点在する寺社に手を合わせる信仰の場、それが姫山であった。板碑が造立されたのは貞和二年(正平元年、1346)。同じ年に赤松貞範が姫山に築城している。これが姫路城の始まりだとされる。庶民信仰の場から地域支配の要、そして国際観光の拠点。大きく変貌を遂げた姫路の原風景を、古い板碑に垣間見ることができる。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。