日本の代表的風景は?と訊かれたら、私なら滝を挙げるだろう。山がちな我が国には大小いくつもの滝があるから、風景として身近だ。少し昔のことだが、国道313号を走っていると「至孝滝橋」を見つけた。しかもモザイクで雄々しい滝の姿が描かれている。「ビザンティン美術はここまで伝播していたのか。これは行きなさいという神の啓示だ。」少々意味が取れないが、そう呟きながら橋を渡る。
季節は冬だったが、雪不足で困るほどの暖冬だった。林道至孝滝線に乗り入れてしばらく進むと、落石で道が荒れており走行を断念。引き返して長靴に履き替えた。歩みを進めるほどあたりは雪景色となり、探検家の孤独感が分かるような気がした。
林道の終点からは至孝川沿いに進む。道はあるようなないような心許なさだが、雪の中でも迷うことはない。倒木越えや沢登りもあるが、これも探検気分を高めるための装置だと思えばよい。そして辿り着いたのがここだ。
真庭市山久世に「至孝滝」がある。滝が画題であれば、誰もがこのような滝の姿を描くだろう。
ただ滝の流れと轟音だけが動的で、滝から離れた雪景色は時間がないかのように静寂である。古くから知られた滝で、川端定三郎『岡山の滝と渓谷』(岡山文庫、昭和60年)には、次のように記されている。
至孝の滝(四向の滝)真庭郡勝山町山久世二ノ氏
この滝は、三坂山を源とする至孝川の中流にかかる滝で、瀑層は神庭の滝と同じチャートである。
滝は、両岸の高さ百m余りの岩壁が巾四十mで起立する奥に巾五m、高さ三十mの一条の瀑布が垂直に懸り、滝壺は経十m余りの円形で青い渕をなしていて、黒い絶壁と雄大な瀑布、そして青渕とのとり合わせは実に神秘的である。ここには当山派修験者達により不動明王を祀る小祠と籠堂、護摩壇、鳥居がある。
下流の谷約五百mは、沢登り以外途はない、やや難儀なところもあるが、ケヤキ、モミジ、マツ、カシ、シイの樹間を流れる渓流は、カワガラスの棲む聖地への参道である。
滝の祭りは、五月第一日曜日である。
経路は、国道三一三号線勝山町山久世から橋を渡って二ノ氏部落へ、ここから杣道四km。
滝の姿は昭和とほとんど変わらない。それだけチャートの岩盤が硬いということだろう。このチャートは深海の堆積物が硬化した岩石で、ペルム紀付加体としてこの辺りに広がっているようだ。これも3億年前から現代への贈り物なのだ。
斎藤彰男『岡山の滝』山陽新聞社には滝脇に山久世密乗寺奥の院があると記されているが、ここでは当山派修験道の祈祷場のように書かれている。江戸期の当山派修験道は明治からは真言宗に統合された。密乗寺は高野山真言宗である。
山と川によって構成される我が国の風景。その所々に見られる優美な滝。それを見るまでの景色と時間。冬季の滝見はちょっとした冒険であり修行のようでもあった。この滝を落ちた水は、やがて旭川に流れ込む。うちには旭川から引いた用水が来ているので、もしかするとこの滝水が混じっているのかもしれない。
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