寒いときには寒いことしか考えられず、暑いときには暑いことが頭の中を占める。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という素晴らしい教えがあるが、快川国師ならいざ知らず私ごとき凡人には到底不可能だ。
そんな私でも、この世から去るときに、誰にも迷惑をかけたくない、と思う。そうは言っても、いろんな人のお世話になって葬られることになるだろう。そうなってしまっては恩返しができないので、生きているうちにできる限りの心づくしをしておきたいものだ。
津山市川崎に「自焼居士の墓」がある。
ここは出雲街道から北に向かって因幡往来が分岐する場所である。古い石仏や石塔が集められている中に、長兵衛さんのお墓がある。説明板はないが、美作の代表的な地誌『東作誌』一巻東南条郡林田郷太田村「古跡」の項に、次のような記述がある。
自焼居士塚在于因幡分道
銘曰釈自焼霛冢 天明六丙午年三月十四日林田町長兵衛
親営窀穸 託身炎陽 不仮天風 火帆自凉
傭夫長兵衛は津山林田町の産にして懸壁長く生続(はえつづき)たるを以て生下り長兵衛と異名す(方言懸壁のことを生下りと云ふ世に生下と云なり)弱年より江戸往来を専にするゆゑ江戸と云ふ一名をも得たり孤独にして赤貧天性正直清廉死後人事に預らんことを厭て天明六丙午三月十四日朝奔走して知己の方に薪を乞ひ宇才谷に入て火定す行年七十歳人咸是を感惜して此碑を建ると云ふ
「天性正直清廉」というから、もみあげが印象的な長兵衛さんは貧しいながらも、とてもいい人だったらしい。江戸往来が仕事だったというから、飛脚をしていたのだろうか。
死んでから他人の世話にはなりたくないと、知人に薪をもらって宇才谷(うさいだに)に入り、自らを焼いたのだという。「宇才谷」は津山市野介代(のけだ)にあるバス停(中鉄バス)の名称でもある。
当時の人々は愛されキャラだった長兵衛さんの突然の死に衝撃を受け、この供養碑を建てたのだろう。碑には次のような意味の墓誌銘が刻まれている。自ら死地を求めて火焔に身を託す。自然の風でなくとも火もまた涼し。生下り長兵衛さんは、快川国師のような高潔な人物だったに違いない。
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