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いつもの台所にも時々革命が起きる。近年最大の変化はIH調理器の普及だろう。何しろ火を使わないのだから、人類50万年の歴史を塗り替える画期的な発明である。
ある調査によれば、その普及率は令和2年度で25.4%だという。爆発的な普及にならないのは、価格が高いからか、火加減が分かりにくいからか、それとも停電で使えないからか。それでも安全性や快適さでは革命的な調理器具だ。
台所の革命は古墳時代にもあった。「竈(かまど)」の出現である。それまでは中心付近の床を掘り窪めた「炉」で煮炊きをしていたが、カマドは煙道とともにへりのほうに設けられた。快適性は格段に向上したに違いない。さすがは大陸の先進文化である。
さっそく、カマドのある文化住宅におじゃましてみよう。
三次市十日市南三丁目に県指定史跡の「日光寺住居跡」がある。
夏草茫茫でお宅のようすがうかがえない。標柱や説明板がなかったら、ここに古代人の生活の営みがあったことなど想像もしなかっただろう。説明板を読んでみよう。
広島県史跡 日光寺住居跡
所在地 三次市十日市町大久保48,49-1の2
指定年月日 昭和32年9月30日
日光寺住居跡は花園遺跡の東に位置し、成光(なるみつ)池を望むゆるやかな斜面にある古墳時代後期(6世紀後半)の住居跡です。住居跡は東西に並んで3棟分発見され、一辺が4~5mの方形で、地面を約40cm程度掘り下げた大きさで、4本の柱で屋根を支えている竪穴式住居跡です。
これらの住居跡の中央には炉があり、北辺の中央部には竈が設けてあります。床面からは食器などに使用された土師器・須恵器や機織り用具の土製紡錘車などが出土し、当時の人々の生活の様子がうかがわれます。
竪穴式住居は新石器時代の代表的な住居として世界各地でみられ、日本でも縄文時代以降主要な住居として平安時代まで続きました。三次市内でも本遺跡のほか各地で縄文から奈良時代の住居跡が発見されていますが、中でも三次地区工業団地造成に伴って発見された松ヶ迫遺跡群は200棟に及ぶ住居跡と高床式倉庫からなる6世紀から7世紀初頭にかけての大規模な集落遺跡です。
なお、県立みよし風土記の丘内には竪穴式住居、平床式住居、高床式倉庫が想定復元されています。
1993(平成5)年3月31日
三次市教育委員会
竪穴住居といえば縄文時代のイメージが強いが、庶民は平安時代まで竪穴暮らしをしていたようだ。古墳時代後期といえば横穴式石室ばかりが注目されがちだが、日々の暮らしに欠かせなかったのは竈である。
この住宅の立地は成光池を望むゆるやかな斜面であるが、古墳時代にも池はあったのだろうか。レイクビューの文化的な暮らしがそこにあったのかと思うと、竪穴暮らしも悪くなさそうだ。やはり須恵器の陶板の上では、神石牛のヒレ肉が焼ける音がしていたに違いない。バイデン米大統領をもてなした広島の食材は、我が国の誇りなのだから。