「郡」という行政区画に何の意味があるのか分からなくなり、その名称さえ忘れ去られようとしている。広島県北部に双三(ふたみ)郡があった。地図上にその名はないものの、区画は現在の三次市に近い。平成の大合併により期せずして双三郡が復活したように見える。
双三郡は明治31年に、三次(みよし)郡と三谿(みたに)郡を統合した新設の郡である。「三」のつく二つの郡は古代から存在し、三次市域では北部が三次郡、南部が三谿郡となる。本日は三次郡の役所からのレポートをお届けしよう。
三次市西酒屋町(にしさけやまち)に県史跡の「下本谷(しもほんだに)遺跡」がある。
見晴らしのよい高台に見えるが、向こうは崖で、下に国道375号が通過している。このような危険な場所に政治の中枢を置くだろうか。説明板を読んでみよう。
広島県史跡 下本谷遺跡(推定備後国三次郡衙跡)
所在地 三次市西酒屋町善法寺30-1
指定年月日 1981(昭和56)年11月6日
面積 680.4m2
下本谷遺跡は古代の地方官衙(役所)跡で、1974(昭和49)年の道路工事中に偶然発見されました。
この遺跡は、東西約53m、南北約113mの「コ」の字形の柵の内に掘立柱建物を規格性をもって並べたもので、主軸の方位は真北より約7°東によっています。
柵の内は、中央広場の北辺に東西棟の建物(庁屋ちょうのや)をおき、それを囲む東西2条の柵には南北棟の建物(向屋むかいや)を2棟づつ並べています。
庁屋背後の東西には、それぞれ柵で囲んだ中に南北棟の建物(副屋そえのや)を配しており、庁院部は左右対称の配置をなしていたことが明らかになりました。
出土遺物には須恵器、土師器、緑釉陶器などの細片があり、8世紀後半から9世紀(奈良時代から平安時代)頃のものと推定されています。
本遺跡は、8世紀後半に新しく出現した規則正しい建物配置と、硯や緑釉陶器などの特色ある出土遺物、そしてその所在場所から備後国三次郡衙跡と推定されています。しかし、この中心部は道路工事によって消滅したため、現存する西側の副屋と柵列の一部を広島県史跡として保存しています。
2000年3月 三次市教育委員会
どうやら国道建設に伴って遺跡が見つかったようだ。「郡衙」という重要施設と判断されたのは、「コ」の字形の柵に囲まれ左右対称に配置された大型建物、硯や緑釉陶器といった役所にふさわしい出土品、地域の拠点となりうる立地である。
左右対称が確認されたとはいえ、現在残されているのは正面から見て左側の一部で、主要部は道路上の空中に位置するらしい。発掘調査により旧石器時代の旧石器が検出されたというから、大昔から人気エリアだったのだろう。
三次郡衙の真下を通過する国道375号を山陰方面に進むと三次市役所や三次駅、三次藩館跡が近くにある。偶然発見されたという郡衙も含め、重要地点を時代を越えて国道が結んでいることに驚かされる。
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