姫路市香寺町矢田部に「後藤又兵衛ゆかりの郷倉」がある。後藤又兵衛とは,大坂の陣の勇将・後藤基次のことだ。
郷倉は「ごむら」と読む。この「ごむら」は完形をとどめていない宝篋印塔の一群である。南北朝時代のものらしい。又兵衛と宝篋印塔,そして郷倉。どのように関係しているのだろうか。
矢田部の近くに行重という地名がある。この地域を開発した後藤行重に由来している。後藤氏は鎌倉初期からの播磨の名族で,行重は祖先六代を供養する宝篋印塔を建てた。後藤又兵衛は時代は異なるものの,行重と系譜上のつながりがあるようだ。
行重が建てた宝篋印塔の隣に,江戸時代後期に固寧倉が建てられた。「固寧倉」は姫路藩の名家老・河合寸翁が飢饉に備えてつくった非常食貯蔵庫である。このような倉のことを郷倉(ごうくら)といい,宝篋印塔の一群を御群(ごむら)といった。
さまざまな意味が混ざり合って一つの史跡が形成される。時の流れの力である。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。