静御前の悲話は,日本人の心の琴線に触れる。しかし,彼女が登場する史料は『吾妻鏡』のみであり,今に伝わる伝説の多くは『義経記』以来の想像の産物だという。
東かがわ市大谷に「静御前姿見の井戸」がある。すぐ近くに「姿明神」という小さな祠もある。
人が鏡や水面に自分を映すことは,変化していく自分の姿を自覚することである。花の色の移り変わるがごとく,容色もまた,はかない。小町や業平のような美しい人には姿見の井戸の伝説がある。
大谷の隣の小磯には「静御前の母磯野禅尼出生の地」がある。磯野禅尼は鳥羽院政のころ,藤原信西に舞楽を教えられ,男舞を始めて白拍子の元祖になったという。
大谷も小磯も旧丹生村にあたる。昭和三年発行の『丹生村今昔物語』は「白拍子の後裔である日本の名物芸者ガールの発生地は丹生だ」と無邪気に記している。
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