南北朝の争乱は理解が容易でないところに魅力がある。北朝が勝利しながら正統なのは南朝である。北朝は優勢でありながら内訌が絶えない。北朝武将が方略のために南朝に走ることも珍しくない。
坂出市林田町にある「細川将軍戦跡碑」は,南朝方の細川清氏が従兄弟で北朝方の細川頼之と戦った場所に立つ。ここは「白峰合戦古戦場」として坂出市の史跡に指定されている。「三十六」という別名もあるが,これは清氏と従士36人が戦死したことに由来するという。
「勤皇家として王事に奔走した」(坂出市HP)清氏が幕府軍と戦い壮烈な戦死を遂げたという南朝哀史のように語られるが,はたしてそうなのか。
かつて清氏は足利尊氏の重臣として幕府の要職に就いていた。ところが佐々木道誉の策謀により追われる身となった。清氏が南朝に走ったのはそれからのことである。
ここには「乃木大将遺愛地碑」も立つ。軍神・乃木大将の遠祖にあたる乃木備前次郎は,細川頼之の麾下にあったが,この地で戦死した。大将は善通寺に赴任していた折に当地を訪れて先祖を偲んだという。碑の建立は大正二年のことで,大将が明治天皇に殉死してから1年ほど後のことである。
この地で偲ぶべき勤皇家とは,乃木大将なのかもしれない。
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