「腰掛岩」の伝説は各地にあって古人を偲ぶよすがとなっている。歌僧の西行法師も腰掛岩を残す一人だ。本当に腰掛けたのか後に創られた話なのか,いずれにしろ腰掛けるにちょうどよい形をしている場合が多い。
玉野市渋川2丁目の海水浴場に「西行さんのこしかけ岩」がある。それほど形のよい石ではないが見過ごすことはできない。この地は『山家集』に登場する西行法師ゆかりの地なのだ。
夏は水着の若者がゆきかう中で西行法師も旅をしている。遊ぶ気満々の現代人と,崇徳上皇の慰霊に四国へ渡ろうとする法師。出で立ちといい心情といい,見事にミスマッチである。
法師はこの地を次のように詠んだ。
日比、渋川と申す方へまかりて、四国のかたへわたらむとしけるに、風あしくて程経にけり。渋川の浦と申す所に、をさなき者どものあまた物を拾ひけるを問ひければ、つみと申す物拾ふなりと申しけるを聞きて
下り立ちて浦田に拾ふ海人の子は
つみよりつみを習ふなりけり
「つみという貝を拾う漁師の子は,そうやって殺生という罪を習うのだろうなあ」 西行は殺生なくして生きられない人間の罪深さを詠じながら,生きる意味について考えていたのだろう。
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