塔の心礎が好きだ。どっしりと構え何事にも動じようとしない抜群の安定感がある。そして,そこにあった塔の姿は如何ばかりであったろうかと,想像力を掻き立ててくれる。
南国市比江に「比江塔趾」(比江廃寺塔跡)がある。
国分寺ができる以前の白鳳時代の寺院跡だ。塔以外の建造物の礎石は,藩政期に国分川の改修に用いられ残っていない。『長宗我部検地帳』に記載のある「アマシヵウチ」という小字名が寺域内にあることから,国分尼寺として代用された可能性があるという。
さて,この塔,どれくらいの高さがあったのだろうか。国府史跡保存会『ガイドブック国府史跡をめぐる』を読んでみよう。
この寺の塔が法隆寺式の五重の塔であったことが証明されておりますが,現在の考古学では「心礎の穴の直径(つまり柱の直径)を四十倍すると,塔の高さが出る」というのが定説であります。それを当てはめますと,この円い穴の直径は81センチでありますから塔の高さは32.4メートルあったことになります。これは現在の奈良,法隆寺の塔より少し低い程度です。
国府,国分寺,総社と中枢機能はこの地域に集中する。比江廃寺が国分尼寺だという推定はおそらく正しい。土佐国分尼寺の五重塔を,国司・紀貫之も日々目にしていたのだろう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。