支配者がどのように民衆の記憶に残るかは興味深いところだ。忘れ去られる者が圧倒的に多いが,悪くすると暴君とされ,上手くいくと名君となる。本日紹介する名君は戦国の敗者である。しかしながら,その負けた戦いの様子が再現されるほどに偲ばれている人物である。
埼玉県大里郡寄居町大字鉢形の鉢形城公園と玉淀河原で毎年「寄居北條まつり」が行われている。
この祭りの主役は北條氏邦。いったい何があったのだろうか。名君の御名を戴いた大吟醸「氏邦」のラベルを読んでみよう。
寄居町は,北條安房守氏邦を城主とする天険の名城,鉢形城の城下町であった。氏邦は,小田原城主,北条氏康の三男で,鉢形城を拠点に七十万石を領知し,名君の誉れ高く,領民の信任も厚かった。鉢形城は,天正十八年秀吉の天下統一の関東攻めによって開城後廃止され,今は遺構が往時を偲ばせている。(国指定史跡)近隣には,遺臣も多く,毎年,四月の第二日曜日には,「寄居北條まつり」が盛大に開催され,当時の戦国絵巻が再現される。大吟醸「氏邦」は,氏邦公の遺徳を偲び「北條氏邦公四百回忌供養会」を記念して,特別に醸造したものです。
小田原合戦の際,氏邦は箱根への出撃を主張した。しかし,評定において籠城と決する。小田原評定などと最後は評判の良くない北条氏であるが,氏邦の人望は祭りと酒によって今に伝えられている。
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