歴史に詳しくないはずの母が小さい私に繰り返し語ってくれたのが,太田道灌の故事である。国定教科書に掲載されていたというから,母は,学校で,あるいは物語好きの祖父から聞かされていたのだろう。おかげで,有名なあの歌は,おそらく私が最初に憶えた和歌となった。
七重八重 花は咲けども 山吹きの 実の一つだに なきぞ悲しき
そもそも,この歌は,醍醐天皇の皇子,兼明親王の作であり,後拾遺和歌集(歌番号1154)に収められている。湯浅常山の逸話集『常山紀談』は,次のように語る。
鷹狩に出て雨に逢ひ、ある小屋に入りて蓑を借らんといふに、若き女の何とも物をば言はずして、山吹の花一枝折りて出しければ、「花を求むるにあらず」とて怒りて帰りしに、これを聞きし人の、「それは七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しきといふ古歌のこゝろなるべし」といふ。持資驚きてそれより歌に心を寄せけり。
埼玉県入間郡越生町大字西和田に「伝山吹の里」があり歴史公園として整備されている。
昭和37年に県指定旧跡とされている。この地では,鷹狩りではなく,道灌が川越の領主であった頃に父の道真を訪ねた時の出来事とされている。
最寄の越生駅の南に写真の踏切がある。
意の如く開閉する踏切では危ない。「ねおい」と読み,如意輪観音に由来する由緒ある地名である。この観音像は応保二年(1162)の銘がある。これまで,数多の人が参拝に訪れたことであろう。おそらく道灌もその一人であったに違いない。