東海地震説が提唱されたのが1976年だというから,かれこれ30年以上になる。すぐにでも来ると言われたのに,なかなか来ない。来なくていいのだが,こう来ないと慣れが生じて油断につながる。
豊島区巣鴨三丁目の眞性寺に「大震火災遭難者供養塔」がある。
大正十二年九月一日は関東大震災の日付だ。200名を超える人々の協力で建立された供養塔である。関東大震災にも「南関東大地震69年周期説」というのがあった。それによると1992年が該当の年だったが,やはり大地震は来なかった。
『谷中・根津・千駄木』という地域雑誌がある。その24号,1990年夏号の特集は「関東大震災に学ぶ」であった。それによると当時の駒込林町に住んでいた女性は次のように証言している。
かぞえで十五の時で,神明様近くの裁縫学校に通っていました。久しぶりにお友達と会ってペチャクチャやっていたらゴーッて音がして,風とも違う異様な音でした。その次ガターンときてガチャガチャガチャとすごかった。当時は部屋に百燭(ひゃくしょく)という電気で平らなガラスのほやが一間おきくらいについていましたが,それがお互いにぶつかってカチャーンカチャーンと鳴りました。それで裁縫用の机の下にかくれました。それから先生が早く運動場に出ろというので窓から外を見ると学校の前の家の土壁がたおれ,土けむりがもうもうとしていたので,「先生火事です」といったら,そうじゃなかった。でもその後本当に火事も起きたんです。それはカツとかコロッケをお昼時分に売り出す店の油に火が入ったのね。
トンカツ,コロッケは大正時代の三大洋食(もう一つはカレーライス)である。証言からは当時の世相もかいまみえる。世相は過去のものだが,震災の教訓は今こそ活用せねばならない。
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