いつの世も母は偉大である。この母あってこその偉人である。厳しく強く,そして優しく。まさにグレートマザー物語である。戦国武将にしても然りであろう。
岡山市東区西祖(せいそ)に「宇喜多直家生母の墓」がある。
もとは国道2号線より南の寺山地区にあったようだが,両備ガーデンの敷地造成の折に西祖の共同墓地へ移されたのとのことだ。
宇喜多直家は岡山開府の偉人である。父の興家は暗愚または暗愚を装っていたといわれるが,いずれにしろ宇喜多家の勢力は低迷しており,当時の備前の中心地・福岡の豪商である阿部善定に庇護される身であった。ここで興家は善定の娘と懇ろとなって子を儲ける。愛想を尽かした妻は元の主家である浦上氏に仕え,やがてわが子直家を呼び寄せて有力な武将に育て上げる。
困難は必ず乗り越えられること,家名再興の願いは必ず叶うことを繰り返し説いて聞かせたのであろう。息子は見事に一国の主となり,政令指定都市・岡山の基礎を築いたのだ。まさに偉大な母であった。
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