謀将やら梟雄やら,宇喜多直家には手段を選ばない策略家というイメージがあるようだ。『太閤記』には,戦国三大悪人として次のように記されている。
まことに無道之報、直家にかぎらず。松永弾正忠久秀、斎藤山城守道三、此両人等も直家にひとしく、才高して利を好み、義を疎にせしが、何も後絶にけり。
岡山市東区竹原の新庄山に「新庄山城跡」がある。
本丸跡に石鉄神社が置かれている。ハイキングによいコースも整備されている。北麓には旧山陽道が通る交通の要衝に位置する。直家は,天文十八年(1549)に同族の浮田大和守が主君・浦上宗景に背いたとして攻め滅ぼし,その功によって新庄山城を与えられた。
幼少期は不遇の身であった直家は,一代で一国の主へと成長する。戦国大名の典型といえよう。最初は乙子城,そして新庄山城,その後,沼城,石山(岡山)城と居城を変えていく。直家が岡山城に入ることによって,都市としての岡山の歴史が始まる。
今日は岡山の基礎を築いた恩人の出世城を紹介した。岡山の人は直家を悪人だと決して思っていない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。