名は体をあらわす。事物の名称や地名には何がしかの由来があるものだ。有為転変の世の中である。地表は様々に移り変わっていくが,古くから記録され現在まで伝わっているものがある。神社の名称もその一つだろう。
和泉市尾井(おのい)町2丁目に「舊府(ふるふ)神社」がある。
由緒ある式内社である。社号の「旧府」の由来には二説あって,一つは神功皇后の行宮所が置かれていたとする説,もう一つは旧国府があったとする説である。
『日本書紀』に登場する神功皇后の行在所「小竹宮(しののみや)」を,「しの」が「しのだ(信太)」に通じることから,この地に比定する説がある。しかし,原文の文脈からは,小竹宮の位置を紀伊国内とするほうが自然に思える。
和泉市府中町5丁目の御館山公園に「和泉國府址」がある。
「府中」の地名が国府が存在したことを物語っている。では,和泉国はいつ成立したのか。
かつて和泉の国域は河内国であった。靈龜二年に大鳥郡,和泉郡,日根郡の特別行政管理地域として「和泉監(いずみのげん)」が置かれたが,天平十二年に一旦廃止される。その後,天平勝寶九歳になって正式に和泉国が設置された。
このような変化の中で,かつて監衙(げんが)があった地を「旧府」と呼んだのではないか。
旧府神社の境内に葛の葉伝説ゆかりの「白狐化石(ばけいし)」がある。もともと熊野街道沿いにあったものを昭和二十二年に祀ったという。狩人に追われた白狐がこの石の後ろに隠れたとも石に化したとも伝えられている。白狐と国府。伝説か幻か,それとも現実世界の名残なのか。歴史的な思索に相応しい素材だ。
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