氷を口に含みたくなる季節である。普段,冷蔵庫から氷を取り出しても何とも思わないが,考えてみれば,昔の人々は夏季の氷の美味さは知らなかったのだ。ごく一部の貴人のみが口にする珍味であった。
神戸市兵庫区氷室町2丁目に氷室神社が鎮座し,境内の奥に「氷室の旧跡」がある。
時は仁徳天皇62年。天皇の異母兄・額田大仲彦(ぬかたのおおなかつひこ)皇子がこの地で狩りをしていた折に穴倉を見つけた。地元の闘鶏稲置大山主(つげのいなぎおおやまぬし)に尋ねると,夏まで氷を貯蔵しておく氷室というもので,夏にその氷を酒に入れて飲むのだと答えた。さっそく,皇子が天皇に氷を献上したところ,たいそうお喜びになったということである。原文で確かめてみよう。
仁徳天皇六十二年五月。此歳額田大中彦皇子獦于闘鶏。皇子自山上望之。曠野中有物。其形如廬。仍遣使者令視。還来曰。窟也。因喚闘鶏稲置大山主問之曰。其野中者何窟矣。啓之曰。氷室也。皇子曰。其蔵如何。亦奚用焉。曰。堀土丈余。以草蓋其上。敦敷茅荻。取氷以置其上。既経夏月。而伴其用。即当熱月漬氷酒以用也。皇子則将来其氷献于御所。天皇歓之。自是以後。毎当季冬必蔵氷。至于春分始散氷也。
ただし,この故事ゆかりの地は,奈良県天理市福住町浄土の氷室神社だとも,大阪府高槻市氷室町の闘鶏野神社だとも言われている。各地に「氷室」の地名が伝わっていることからすると,意外にオンザロックを楽しんでいた古代人は多かったのかもしれない。
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