時代遅れの人は珍しくもないが,時代より先に進んだ人は歴史に名を残す。時代に先んじていることは後世の人が判断するのであって,その名誉を存命中に享受することはできない。
仙台市青葉区子平町の金台山龍雲院に「林子平墓」があり国指定の史跡となっている。
墓前には伊達興宗伯爵の書で「前哲林子平墓域」と刻まれた石碑もある。前哲とは昔の優れた思想家のことだ。
覆屋の中の墓には「六無齋友直居士」と戒名が記されている。晩年に「親もなし妻なし子なし版木なし金もなければ死にたくもなし」と詠んだことに由来する。この墓は幕府を憚り死後49年を経て建てられた。それには次の事情がある。
子平は「江戸日本橋より唐,オランダまで境なしの水路なり」の名文で知られる『海国兵談』で海防の重要性を指摘した。しかし,時の老中・松平定信は「風聞で異国が日本を襲うと奇怪な説を著した」として蟄居の上,版木没収の処分を下す。ロシアのラクスマンが根室に現れる4か月前のことであった。
子平が考案したという日時計がある。これは子平が長崎の出島で模写して制作したものだ。正確には,鹽竈神社に奉納された日時計のレプリカである。近代科学の萌芽はここにもあった。
墓の隣の六角堂には子平の木像が置かれている。他人の言うことには耳を傾けるものだ,そう諭された気がして,暫く頭を垂れていた。
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