各地で平和の日が制定されている。東京都は3月10日,岡山市は6月29日,長崎市は8月9日など,多くの場合,太平洋戦争末期の被害に因むものである。これに対し,3月1日の「枚方市平和の日」は,太平洋戦争前の昭和14年の出来事に由来する。
枚方市中宮北町に「殉職義烈之碑」がある。
昭和14年3月1日のことである。陸軍の禁野火薬庫で大爆発が発生した。『郷土枚方の歴史』の記述を読んでみよう。
午後2時40分ごろ,突如大音響とともに倉庫が吹き飛び,黒い煙が空に舞い上がった。次々と爆発が続き,付近一帯は爆発のために火の粉や破片や砲弾が飛び散り,山田・中宮・禁野・御殿山一帯の家や田畑も火の海となり,爆発は十数時間に及んだ。枚方から8千人もの人が家財をまとめ,続々と淀川堤づたいに守口や大阪市内まで避難した。この爆発で死者105人・負傷者589人・家屋の全半焼519戸・被災者7,762戸に及んだ。
写真は,火薬庫の職員38名の殉職を悼む碑で,今では平和な団地街となったこの地で,かつて大爆発の惨事があったことを今に伝えている。枚方の人々にとって,平和の尊さは太平洋戦争前から肌身で感じていることであった。