天守閣のない城なんて…と思えるくらい,城=天守のイメージが強い。しかし,天守の存在は城郭に必須の要件ではない。本日紹介する城も天守閣の有無が長い間はっきりしていなかった。
宮崎市佐土原町に「佐土原城跡」がある。写真は「天守台跡」である。
中世,ここは伊東氏の居城だったが,九州の覇権争いの中で島津氏に敗れ退去する。その後,佐土原城に入ったのは島津家久。天正7年のことである。家久は義久・義弘兄弟の末弟に当たる。家久の没後に跡を継いだ豊久は,慶長5年の関ヶ原の戦いで伯父・義弘を国許へ帰すため身代わりとなって討死した。
城は一時,徳川氏の預かりとなるが,慶長8年に家久の従弟に当たる島津以久が入り,ここに佐土原藩が始まる。次の忠興の代になって館を山上から麓へ移した。寛永2年のことであった。
したがって山上に城郭があったのは近世初期のみで,これまで詳細が明らかではなかった。ところが,平成9年に「天正年中佐土原城絵図」に描かれた三層天守と同じ位置のあたりから,金箔鯱瓦が出土し,天守実在の可能性が高まっているということだ。
荒涼とした城跡に立って,かつての面影をイメージする。それは城跡巡りの醍醐味である。
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