廃線跡を歩くという鉄道ファンがいるくらいだから,廃川跡をたどる歴史ファンがいてもよいだろう。ここに昔,鉄道が通っていたのか。どれだけ多くの客車が往復したことだろう。そしてどんなに多くの人生を運んだことだろう。それがテツの感慨なら,この川も負けてはいない。なにせ“下り酒を積んだ樽廻船”が入った歴史の川なのだ。
大阪市此花区伝法五丁目に「伝法川跡」の碑が建てられ,裏には次のように記されている。
大阪府の防潮堤工事にともない昭和二十六年十一月この地点から東,正蓮寺川に至る長さ八百九十メートル幅五十七メートルの伝法川を埋立てた。よって記念の碑を建てる。昭和三十四年一月 大阪府知事赤間文三
赤間知事は公選の初代府知事で三期12年務めた人物だ。この碑の手前,河口に当たる一部がマリーナとして活用されている。下は伝法水門から見た写真だが,かつての面影を残しているのかもしれない。
この写真の方向に伝法の旧市街がある。樽廻船に使われていた200~400石積みの船を「伝法船」と呼んだことからも水運が盛んだったことが分かる。
ここは新淀川の左岸にあたる。新淀川は,洪水を繰り返す淀川の水位を下げるために明治の後期に開鑿された川だ。かつて水田の間を縦横に川が通り大阪湾に注いでいたなど,想像することさえ難しい。
伝法水門の手前に「大阪市漁業協同組合」の看板を掲げた建物があった。いったい何が獲れるのだろうか。調べてみると…。
春のイカナゴ,夏の“べっ甲シジミ”である。このシジミについて同組合のHPを読んでみよう。
通常、漁獲されシジミとして店頭に並んでいるものは「ヤマトシジミ」という種類です。
当組合が大阪湾で漁獲するシジミもヤマトシジミですが、シジミの殻は生息する底質によって色が変わり、泥が多いと黒っぽくなりますが、砂が多いと茶色となります。
その為大阪では、まるでべっ甲のように輝いて見えることから「べっ甲シジミ」の愛称で親しまれて来ました。
当組合で漁獲された「べっこうしじみ」は選別機にかけられ、スーパーなどに出荷され、大粒のものは料亭へも仕入れられています。
さすがに大阪は「魚庭(なにわ)」であった。
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