既に十数年の昔のことである。初めて鞆の浦を訪れた時、古寺めぐりをして法宣寺を訪ねた。境内に入ったとたんに絶句したのは、巨大な松が枯れていたからだ。
枯れてからさほど時間が経っていなかったのだろう、枝が折れているわけでなく、葉さえ落ちていなかった。それが緑色であればその生命力に感嘆していただろう。しかし、境内一面に枝を伸ばしたまま黙する松である。ただただ喪失感のみが一帯を支配していた。それは倒れた龍を目の当たりにするかのようであった。
福山市鞆町後地の大覚山法宣寺に「天蓋松の跡」がある。平成3年に枯死した後もしばらくは根株が残されていたが、今はそれもなくなり巨大な枝を支えていた支柱だけが遺物となっている。
この寺は三備に日蓮宗を布教した大覚大僧正を開基とする古刹で、天蓋松は大僧正お手植えの松だったそうだ。表精『鞆今昔物語』は、かつての姿を次のように描いている。
胸高三・九米、樹高五・四米、地上一・六米の位置から二枝に分れて四方にひろがり樹冠一八〇坪と言われる世にも珍らしい松の大木は、鞆を訪れる旅人の目を楽しませている。
世の移り変わりとはこうしたものなのだろう。一切のものは生滅流転する。仏の教えを身をもって示した龍は天に昇りこの世を見つめている。
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