敵国襲来!今ならミサイル発射でもレーダーが感知しパトリオットで迎撃するのだろうが、昔はそうはいかない。モンゴル軍の襲来である。九州と鎌倉は離れているのだ。しかし、一刻も早く知らせなければ!当然、早馬が駈けたに違いない。
兵庫県揖保郡太子町の松尾と佐用岡の境界は「筑紫大道」の跡である。国道2号線太子・竜野バイパスに平行したラインである。
バイパスの建設に伴う発掘調査で「道」が発掘されたという。太子町教育委員会発行の「法隆寺領播磨国鵤荘ガイドマップ」では、次のように説明されている。
筑紫大道跡は、太子・龍野バイパスの南約50mに位置し、揖保郡条里の12坊と13坊の境から2町南、「鵤荘絵図」では9条と10条との境を朱色で塗り、「筑紫大道」という記載があります。発掘調査で、砂と土に細かい川原石を混ぜて突き固めた幅約8mの道路敷と幅40~60cmの側溝が確認されました。また、たつの市誉田町福田の福田片岡遺跡でも幅6mの道路を検出しています。この道路は、蒙古襲来時の文永・弘安の役を前後して緊急に交通網の整備が行われたものと考えられています。
今は普通の畦道だが、日本を左右する重要な情報が駈けた中世の中枢神経である。そう思って地図を見ると、この地には、北から古代山陽道、山陽自動車道、国道2号線太子・竜野バイパス、中世山陽道、近世山陽道、山陽新幹線、山陽本線と、日本の大動脈であったことに気付く。恐るべし太子町である。
この日、といっても6月6日夕方のことだが、「幻日」を見た。本物の太陽は左にある。姫路から大動脈の新幹線に乗車し、この後、太子町を加速して西へと向かった。
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