今では山陽道は山陽自動車道のことをいい、まさに国土軸を形成する幹線道路であるが、近世の山陽道も当時の幹線道路だった。明治になっても近世山陽道の役割は衰えることはなかった。その重要性は、明治天皇、伊藤博文というVIPが通過していることから分かる。時は明治18年の夏である。
兵庫県揖保郡太子町山田に「明治天皇山田御小休所」がある。史蹟名勝天然記念物保存法により史蹟として昭和11年7月に文部大臣が指定したものだという。
まずは現地説明板を読んでみよう。
明治十八年山陽道御巡幸の際八月八日御小休所になりたる処にしてよく旧規模を存せり
明治18年7月26日から明治天皇六大巡幸の最後となる山陽道巡幸が開始された。伊藤博文等の重鎮を供奉とし、海路山口に向かい、広島、岡山を経て帰途に着く。岡山からは陸路で兵庫県に入った。8月8日、岡山県最東部の三石の光明寺を出立した天皇は、船坂峠を越えて、梨ヶ原、東有年、鶴亀を経て、正條で昼食をとり山田峠に向かう。その峠の手前、山田の集落、大西勘兵衛邸で小休止した。その時の史蹟である。
明治天皇が留まった「史蹟」も昭和23年に指定解除となり、関心が薄れつつあるが、今でも記念碑が残る。旧道散策の楽しみに加えるとよいだろう。
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