伝説とはいつの時代から伝えられてきたのだろう。伝説にもさまざまな種類があるが、おそらくは英雄の物語が最も古いのではないか。英雄が留まり言葉を発した場所に伝説が生まれる。今日のヒロインは神功皇后である。
姫路市網干区和久に「神功皇后舩繋岩」がある。古い石碑にはそう刻まれているが、新しい方は単に「船つなぎ岩」である。
この岩の背後にある山は『播磨国風土記』の大法(おおのり)山である。その記述を読んでみよう。
大法山 今の名は勝部(すぐりべ)の岡。品太(ほむだ)の天皇、この山に、大法を宣(の)りたまひき。かれ、大法山といふ。
勝部の遺称地は勝原区であるが、大法山は今では朝日山と呼ばれる。品太の天皇とは応神天皇である。播磨国風土記によく登場するヒーローで、その母が古代日本最高のヒロイン、神功皇后である。
写真の岩と神功皇后とのゆかりを、新しい石碑(平成14年、駅前自治会建立)に語ってもらおう。
神功皇后征韓の時、この大岩に船をつないだと言われる。これより南方に縄文や弥生遺跡がある事から、神功皇后は神話伝説上の人物で、附近はもっと古くから陸地であった筈。或いはこの小川がもっと川幅があり、大津茂川から舟運した時代もあったであろう。ともあれこの地方の海岸地帯には神功皇后の伝承が多く、その一つであろう。
なかなかの冷静な分析であるが、伝承を語りたくなる形のよい岩ではある。背後の山が応神天皇ゆかりということでもあり、ここは母子共演ということでいささか強引にまとめておきたい。
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