昨年(平成22年)の3月10日、鶴岡八幡宮の公暁の隠れ銀杏という大木が強風で倒れた。ああまた歴史の証人が失われたと残念がったものだが、その後ひこばえが伸び再生が期待できるとのことで安心した。
横浜市中区日本大通の横浜開港資料館の中庭に「玉楠(たまくす)の木」がある。タブノキと呼ばれるクスノキ科の植物だ。
私がここを訪れたのは2004年、横浜開港資料館では「開国150周年 ペリー来航と横浜」という企画展示が開催されていた。そのときから150年前の1854年3月8日(嘉永7年2月10日)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが約500人の武装水兵を率いて横浜に上陸した。その時の模様は当資料館所蔵の「ペリー提督・横浜上陸の図」(随行画家ハイネ原画による石版画)で知ることができる。上の写真を見ると、企画展示の横断幕の右部分に、その絵が印刷されている。
さらに絵の内容に注目すると、右部分に大きな木が描かれているのが分かる。これが資料館中庭の玉楠である。しかし、少し樹形が違うようだが…そのあたりの事情を説明板に教えてもらおう。
開国史跡 玉楠の碑
中庭の玉楠の木は江戸時代からこの地にあり、日米和親条約は、安政元年(1854)この木の近くに設けられた応接所で結ばれました。大正12年(1923)の関東大震災により、木の幹は焼失しましたが、生き残った根から芽が出て、いまや中庭いっぱいに枝を広げる大木となりました。横浜の歴史の生き証人ともいえる玉楠の木は、昭和63年(1988)横浜市地域史跡に指定されました。
碑上面の「ペリー提督横浜上陸」の図は、アメリカ日本遠征艦隊の随行画家ハイネの原画による石版画(当館所蔵)を、陶板の上に複製したものです。右手の大木が玉楠の木の元の姿といわれています。 「ヨコハマ遊大賞」受賞記念 平成11年(1999)6月2日 横浜開港資料館
この玉楠が平成10年に受賞した「ヨコハマ遊大賞」は、ヨコハマの会が横浜の文化向上に貢献した人や団体、モノに贈っていたものらしい。あの崎陽軒のシウマイ弁当も平成3年に受賞している。確かに横浜の歴史はこのペリー上陸から始まり、異国とのつながりが横浜の文化形成の大きな要素となった。いや日本の近代がここから始まったといっても過言ではない。まさに受賞に値する歴史の生き証人(証木?)である。
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