都市の魅力は歴史が生かされていることだ。初めて東京駅に降り立ったときに思ったのだが、横浜を訪れてさらに思いを強くした。歴史こそ都市の魅力だと。自分で写した下の写真を見て、サンクトペテルブルグかと思った。サンクトペテルブルグなんて行ったこともないのに。
横浜市中区新港一丁目に「旧新港埠頭保税倉庫二号倉庫」がある。普通は横浜赤レンガ倉庫2号館という。
横浜赤レンガ倉庫2号館は明治44年(1911)に竣工した。今年の4月12日で創建百周年を迎える。その歴史を1号館を管理する(財)横浜市芸術文化振興財団作成のパンフレットに教えてもらおう。
誕生
近代港湾発祥の地横浜新港ふ頭は、明治の技術の粋を集めて築造された埠頭であり、赤レンガ倉庫はその埠頭の上屋施設として、1907年(明治40年)に着工された。この倉庫は、補強材として鉄材を利用し、非常用水道管(現在のスプリンクラー)、防火扉などの耐震耐火設備、荷役用エレベーターの設置など、当時の最新の技術が導入された国の模範倉庫であった。
繁栄・成熟
新港ふ頭の利用開始直後の明治43年には係船隻数170であったが、5年後の大正2年には443隻に、トン数では51万噸から163万噸と3倍以上の伸びを見せた。人とモノで賑わう新港ふ頭において、上屋施設としての赤レンガ倉庫は竣工と同時に、勢いを増していく貿易の要所として活躍した。戦前の取り扱い貨物としては、葉タバコ、羊毛、光学器械、洋酒等であった。
停滞
大正12年9月1日、関東一円を襲った大地震により、二号倉庫は倒壊を免れたものの一号倉庫は半壊した。その後、一号倉庫は縮小補強し、税関の施設として使用された。第二次世界大戦後は、米軍に接収され、事務室、食堂や倉庫などに利用されていた。
昭和31年以降順次米軍の接収が解除され、昭和40年代までは倉庫として利用されていたが、近代化が進んだ本牧ふ頭などにその役割を譲らざるを得なくなった。赤レンガ倉庫はその本来の役割を終えたのであった。
再生
赤煉瓦倉庫は倉庫としての役割を終えた後も、横浜のシンボルとして静かに佇んでいた。
その貴重な歴史的資産と平成4年3月横浜市が国から取得し、「港の賑わいと文化を創造する空間」を事業コンセプトとして、市民が憩い、賑わう空間の創造事業をスタートさせ、2002年4月に新たな文化・商業施設としてオープンした。
パンフレットを読みながら食べたのはカフェクレープリーティブレッツのガレットだった。タマゴ・ハム・チーズとそば粉クレープが一体化して待ったりとした時間を歴史的建造物の中で過ごせた。この倉庫の設計はパンフレットが「明治建築界の巨人」と呼ぶ妻木頼黄(つまきよりなか)である。使われた煉瓦は二号倉庫だけで318万個だそうだ。さすが巨人の建築である。
横浜で古い建物といえば、キング、クィーン、ジャックの愛称で知られる神奈川県庁本館(キング)、横浜税関(クィーン)、開港記念会館(ジャック)それぞれの塔である。下の写真で左がキング、右がクィーン。その下の写真で一人だけ格好よく写ったのがジャックである。
塔の形状からそう呼ばれるのであろうが、言われてみればそんな気がする。特にジャックは関東大震災でも倒壊しなかったそうだ。
これらの建物は横浜のかつてのランドマークである。もちろん今のランドマークも様々な意味で最高だが、周囲のビルに埋もれそうな古い建造物が都市の景観、イメージの形成に果たす役割は大変大きい。
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