国木田独歩の『日の出』という短編が好きだ。もっとも印象的な場面を紹介しよう。原文ではなく私の翻案である。
ある海岸の夜明けである。時は、明治21年1月1日。新年第1日目の太陽は、今、まさに波の上にその姿をあらわそうとしている。
そのめでたい日の出とは不釣り合いに、海岸の岩に腰掛けて、物思いに沈んでいる一人の若者があった。彼の名は、権三(ごんぞう)。この町外れに住んでいる農家の跡取りであるが、昨年ある事業に手を出して見事に失敗し、昨日の大晦日に、家も田畠もすっかり取り上げられて一文無しになってしまったのである。
「自分はもうだめだ。自分に残されているのは…死ぬことだけだ…」
そう思った権三は、この元旦の朝思いきって投身自殺をしようと、ここへやってきたのであった。
ふと人の足音に驚いて振り返ると、一人の老人が近付いてくるところであった。老人はちらりと権三を見やると
「やあ、おはよう。いま初日が出るよ。さあ、立ち上がって日の出を見なさい。何と神々しい景色ではないか」
と、感に堪えないように、東の方をさした。
「見なさい今だ。今が初日の出だ」
と、老人が遠い海原を眺めているので、若者もつい立ち上がって沖を見やった。今しも真紅(しんく)の一円球は、黄金の波を漂わせつつ、水平線上に躍り出た。
「何と神々しい景色ではないか」
老人は繰り返した。そして、
「人間というものは、いつでもこの初日の出の光を忘れさえしなければよいのじゃ」
と、静かに語った。見る見るうちに太陽は波の上を離れ、大空も海原も輝かしい光にみちあふれた。
老人は背伸びをしながら、
「わしは、もう六十になるが、こんな立派な日の出を見たのは初めてだ。ああ、いい気持ちじゃ」
と言って、さらに若者に向かい
「お前さん、どこの人かね」
と聞いた。
「隣の村の者でございます」
「毎年、初日の出を拝みにくるのかね」
「いいえ、今年初めてでございます」
「そうか、それでは今日の日の出を忘れないようにしなさい。たいへん顔色が悪いようじゃが、そんな元気のない顔をして世の中が渡れるもんじゃない。一緒に初日の出を拝んだご縁じゃ。わたしの宅へ来なさい。お雑煮でも祝おう」
と、老人が歩き出すので、権三もそのままついて行くよりほかはなかった。
老人は、雑煮を食べながら言葉静かにいって聞かせた。
「お前さんが見た今日の日の出のように、太陽は、毎朝、波をけって空高く昇っていく。人も、この太陽のような元気をもって仕事に励まなければならぬ。日は、毎日出る。人は、毎日働け。働けば、夜は安らかに眠れる。そうすれば、翌日はまた新しい日の出が、お前さんを迎えてくれるだろうよ」
平成23年1月1日。新年第1日目の太陽は海上彼方の雲の上からその姿を現した。予報では曇天で初日の出は無理かと思われたが、このように見えたのは奇跡的だ。午後からは雨が降ったりしたのだから。日の出は毎日あるが、不思議なもので元旦だけは特別に感じる。真夜中のカウントダウンよりも、日の出の瞬間に心が動く。年の初めくらい太陽の有難さを感じることが大切なのだろう。
高病原性鳥インフルエンザの感染を防ぐために、日本三名園・後楽園(岡山市)のタンチョウの放鳥が中止になった。やはりお正月だからツルは必須でしょ、ということで今日の話題である。
瀬戸内市邑久町尻海の一本松展望園(岡山ブルーラインの道の駅)に「万葉歌碑」がある。
説明板を読んでみよう。
この碑の歌は、西暦七三六年(天平八年)日本から新羅国(今の韓国)へ派遣された使節団が海路をたどって任務につき、瀬戸内海を通過する際に誰かが詠だ古歌の一つで、萬葉集(日本最古の歌集)の十五巻に所載されており、しかもこの地にゆかりの深いものです。
ぬばたまの 夜は明けぬらし 多麻(たま)の浦に 求食(あさり)する鶴(たず) 鳴き渡るなり
「多麻の浦」にはいくつかの土地があげられておりますが、一説にはこの地から家島が見渡せる海辺(塩田跡地も含め)がそうであるといわれています。
初日の出の太陽は播磨灘を黄金に染めながら高度を増していった。写真中央の丸い背中の島は鼠島という。こんな光景は今も昔も変わらないだろう。「多麻の浦」はこの辺りだったのか。浅海で塩田化された錦海湾もすぐ近くだ。多麻の浦の候補となるいくつかの土地には、尾道(千光寺公園に歌碑)、倉敷市玉島(玉島文化センターに歌碑)、玉野市玉があげられる。鶴の声で夜明けを知るとはなんと情趣のあることだろうか。
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