龍神の話なのにカテゴリーは戦後である。ネス湖のネッシーのようなミステリーなのか。青碧の水を湛えた池に何かいると考えるのは実に自然だ。池に神様がいるとするなら、そのお姿は龍がふさわしかろう。
板橋区赤塚五丁目に「赤塚溜池公園」がある。
この穏やかな公園には龍神が棲むという。説明板に昔の赤塚溜池の風景が載っていた。なるほど、それらしい雰囲気がする。
龍神信仰といえば、水田耕作のさかんな地域の農民が龍を雨を降らせる神様として祀った、というのが一般的だ。ここも溜池だからそうだったのか。どうも違うようだ。板橋区教育委員会『いたばしの昔ばなし』所収の「三二、赤塚溜池の龍神さま」を読んでみよう。
この池に龍神さまがおられるのをはじめて知らされたのは昭和四十九年八月のことです。
八月二十三日、群馬県に住んでいて龍神さまを深く信仰している人たちが数人で上京してきまして、溜池のふちで、うやうやしく、お祭りをされまして、はじめてこのことがわかったのでした。
この人たちは、口ぐちにこう話していました。
「私たちは、むかしから、代々龍神さまを信仰しておりますが、数日前から、龍神さまが、毎夜のように私たちの枕もとに立たれまして、『自分は、ここ=群馬県=の龍神の分身ですが、今は東京都板橋区の、赤塚にある溜池に住んでおりますが、ふとしたはずみで、胸の上に大石を投げこまれ、いま、ひん死のありさまにおかれております。どうか、大しきゅう、池のはたでくようしてたすけてください。』と、おっしゃるのです。」
この公園には、大きな池のほかに細長い池もある。龍の形状にも見える。しかも、このような注意書きがある。
小さな池なのに深いとは…。やはり底には何かが棲んでいるのか。先に引用した「赤塚溜池の龍神さま」は、次のように話を結んでいる。
こういた、いきさつを知らなかった私たちは、池をそまつにしたり、池の水をよごしたりしてきました。龍神さまの胸を押しつぶしていた石が、工事中の石くずか、子供たちがいたずらに投げこんだ石であるのかはわかりません。とにかく、皆が自然を愛し、うやまわなければならないことを、さとされたような怪奇なお話です。
開発と自然保護、公害問題に関心が高まっていた時期のお話である。自然への畏敬の念を想い起こさせる現代の昔話である。
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