大きな川は人の心を動かす。天気のよい日は陽射しが川面に反射し穏やかな風景を作り出す。荒天の日は濁流が渾身の力で押し寄せ人を近付けない。川の状態はそのまま人の心模様だ。
調布市調布ヶ丘一丁目に「布田天神社」がある。
調布の調布ヶ丘の布田天神社に布さらしの図である。税として納める布の生産が盛んだったことを物語っている。この絵馬の裏には次のように記されている。
たまがわに さらすてつくり さらさらに なにぞこのこの ここだかなしき (万葉集より)
この歌は万葉集巻14の東歌(3373)で、布をさらす娘の可愛さを韻を踏んでリズミカルに表現している。その音は川の流れのようであり、はずむ恋心でもあるようだ。人気のこの歌は各地に歌碑がつくられている。
多摩川に架かる京王相模原線の鉄橋近くの調布市多摩川五丁目に東京調布ロータリ-クラブの建てた万葉歌碑がある。二首あるが向って右側の歌である。
多摩川に晒す手作さらさらに何ぞこの児のこゝだ愛しき
調布市多摩川三丁目の調布市立多摩川小学校に万葉歌を愛する会の建てた歌碑がある。
多麻河伯爾 左良須弖豆久利 佐良左良爾 奈仁曾許能兒乃 己許太可奈之伎
狛江市中和泉四丁目に「玉川碑」がある。「多摩川に…」の歌碑ではもっとも由緒ある石碑だといえよう。説明板を読んでみよう。
万葉歌碑(東京都指定旧跡玉川碑跡 大正十一年八月指定)
この歌碑は、最初文化二年(一八〇五)に手習師匠平井有三董威により猪方村内に建てられました。書は、松平定信(楽翁・白河藩主)です。
この碑は、文政十二年(一八二九)に多摩川の洪水により押し流されてしまい、大正十一年に玉川史蹟猶興会により旧碑の拓本を模刻して現在の場所に再建されました。
多麻河泊爾左良須弖豆久利佐良左良爾
奈仁曽許能児能己許太可奈之伎
多摩川に曝す手作さらさらに
何そこの児のここだ愛しき (万葉集巻十四)
昭和五十七年十二月 狛江市教育委員会
時に暴れ時に穏やかな表情を見せる多摩川。万葉の昔と寛政の改革の松平定信が結びつくとは思わなかった。歴史は決して過去の事ではない。遠く離れていてもつながっている。私たちは歴史を生きている。