館山の秋は「南総里見まつり」で最高潮に達する。今年は10月1日(土)に行われる予定で第30回を迎えるそうだ。八犬伝をモチーフとして一般公募の伏姫や八犬士などの武者行列が行われるとともに、各地区の御船や山車などが勢ぞろいする。
館山市館山に「八遺臣の墓」がある。
八という数字を見て八犬伝だなとすぐに気が付いた。詳しいことを説明板から学ぼう。
大坂城の豊臣方との決戦を目前にした徳川幕府は、関東御府内外様大名取潰しの策を回らせた。この策により改易を命ぜられ、伯耆の倉吉に移された房総里見氏十代忠義は、憂悶のうちに元和八年(一六二二)二十九歳で倉吉在の堀村に卒した。この悲運の主君に従って殉死した八人の家臣は、その氏名は不詳であるが、四字の戒名の上と下に必ず心・賢の二字が配されているのは、何を暗示しているのであろうか。慈恩院に伝えられた話によると、房州にあった里見氏の遺臣が、主君忠義と八人の殉死者の遺骨を房州に持ち帰るべく漁師の姿に身をやつして、遙々倉吉の大岳院の墓から蛸壺に分骨して帰り、ひそかに館山城の南麓に埋めたのが、この八遺臣の墓であるという。この八人の殉死者が、八犬士のモデルであるとも伝えられている。 平成三年二月 館山市
里見氏終焉の地、倉吉では「倉吉せきがね里見まつり」が例年9月第1日曜日に行われている。悲運の名族は現代の人々のロマンをかき立てている。
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