洞窟が好きだ。ケイビングをするほどではない。この先どうなっているのだろうというミステリー感と、夏の外気との温度差を味わえたらそれでよい。しかし、今日紹介する地下壕からは私の呑気さとは裏腹の追詰められた日本の姿がが見えてきた。
館山市宮城に「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」がある。
2004年4月から一般公開されているこの地下壕を、自転車をこいで訪れたのはその年の夏であった。壕内は期待どおりの涼しさで初め気持ちよかったが終いには寒くなるほどだった。
いったい、いつどのように何のために造られたのか。空襲の恐れがなければ地下に入る必要はないはずだ。ということは…。入口でパンフレットをいただきヘルメットを貸してもらった。パンフレットに掲載されている解説を読んでみよう。
赤山地下壕跡は、合計した長さが約1.6㎞と、全国的にみても大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡の一つです。
昭和10年代のはじめに、ひそかに建設がはじまったという証言もありますが、今のところ赤山地下壕に関する資料が、ほとんど確認されていないため、つくられた時期は、はっきりしていません。
しかし、このような大きな地下壕が、1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦の前につくられた例はなく、当時の軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは、1942(昭和17)年より後であることが他地域の壕から知ることができます。
また、全国各地につくられた大きな地下壕の壕と壕の間の長さは、一般的には10~20m以上(長野市松代大本営予定地の象山地下壕は25m)であるとされていますが、この赤山地下壕は5~10mと狭いうえ、計画的に掘られたとは考えにくく、そのつくりから見て、終戦がさし迫った1944(昭和19)年より後に建設されたのではないかと考えられています。
アメリカ軍の空襲が激しくなった太平洋戦争の終りの頃、この赤山地下壕が、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたことは、壕内にある発電所跡や、終戦間際に、この壕の中で実際に館山海軍航空隊の事務をおこなったという体験や、病院の施設があったなどの証言からうかがい知ることができます。
先日の大地震の影響で赤山地下壕跡の一般公開が中止されていたが、市のホームページによると来週月曜から再開されるそうだ。空襲から逃れることのできる地下壕も地震は免れえない。戦争がないことが平和ではなく、平和に暮らせることが平和なのだと実感する今日この頃である。
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