このたびの震災では米軍がずいぶんと助けてくれた。「トモダチ作戦」とはいい命名だ、さすが、アメリカは日本のことを友達と思ってくれているんだな。そう思っていたら、作戦名は日本政府が名付けたものと知って、少なからず落胆した。しかし、歴史は紐解いてみるものだ。地震で被災した日本を助けてくれたアメリカ人のトモダチは過去にもいたのである。
品川区大井6丁目の品川区立大森貝塚遺跡庭園に「モース博士像」がある。
モース博士といえば大森貝塚の発見者として有名だ。博士の業績を品川区品川歴史館『モース博士と大森貝塚』で読んでみよう。
品川歴史館から歩いて5分ほどのところに、大森貝塚遺跡庭園があります。ここが、今から百数十年前の1877年(明治10)に、アメリカ人のエドワード・シルベスター・モース(Edward Sylvester Morse)博士が日本で最初の学術的発掘した大森貝塚に当たる場所です。さらにモース博士は、大森貝塚の発掘成果を発掘報告書にまとめ世界中に発表しました。この発掘報告書で使われた“cord mark”という言葉は、「縄文(紋)」と訳され、今では大森貝塚の時代を表す言葉となっています。
日本初の学術的発掘と調査報告の発表から、大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれ、モース博士は日本に科学としての考古学を伝えた人と位置づけられています。様ざまな遺跡を発掘し、昔の人びとの営みをわたしたちに教えてくれる考古学は、日本ではモース博士と大森貝塚から出発したのです。
つまり考古学の父というわけだ。博士の偉業はこれだけではでない。大田区立郷土博物館『私たちのモース』を読んでみよう。
1923年(大正12)関東大震災で、東京帝国大学の総合図書館が全焼したことを知ったモースは、、自分の全蔵書を大学に寄贈するように遺言を書き換えた。そして、モースの死後、遺言どおりに送られてきた蔵書は1万2,000冊に達し、69個の大きな箱に収められてきた。
今、東京大学総合図書館にある「モース文庫」がそれである。また、モースは日本で陶器収集を行ったが、それは単に異国趣味にとどまらず、陶器目録の出版や講演による日本文化の紹介と、日米関係の深化に貢献した。日本を愛したモース。モースこそ日本の真のトモダチであった。
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