津波が何ものをも容赦しないことは、このたび心底から思い知らされた。分かっているつもりだったのだが、かつて訪れた史跡が失われたと知って、遅まきながら現実のものと実感した。
北茨城市大津町五浦に「六角堂」があった。
3月13日の毎日新聞の東京朝刊では次のように報道された。
東日本大震災:六角堂も流失か――北茨城
北茨城市の五浦海岸にある岡倉天心ゆかりの茨城大学五浦美術文化研究所六角堂が津波で流された可能性が高い。市災害対策本部の調べで分かった。
12日午前6時半ごろ六角堂そばの観光ホテルから連絡が入り、その後、同本部職員が県防災ヘリから撮影したビデオでも六角堂がなくなっていた。六角堂は登録有形文化財で、天心が設計、思索などにふけったとされ、天心や横山大観ら日本を代表する画家の活動拠点となった。
六角堂は明治38年に自らの設計により邸宅とともに建築された。訪れた時、海面はずいぶん下に見えたように憶えているのだが、六角堂まで奪ってしまうとは。赤くて印象に残る形状のこの建造物は五浦の象徴であった。茨城大学の調査によると津波の高さは約11メートルだった。
2013年は岡倉天心生誕150年、没後100年である。これを記念して映画『天心』が制作されることとなっている。失われた六角堂は再建されて映画にも登場する予定だという。六角堂あってこその絵になる風景である。
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