水戸黄門とはテレビドラマの世界であって諸国漫遊などしていない、と思っていたら、漫遊の証拠物件に出くわした。もっとも諸国ではなく水戸領内のことだ。
北茨城市大津町五浦に「黄門の井戸」がある。
どのような謂れがあるのだろう。説明板を読んでみよう。
黄門の井戸
元禄年間、徳川光圀公が領内巡視のおりこの地訪れた際、喉の渇きをおぼえ、井戸はないかと供のものが捜しまわり、畦の脇に古井戸を発見した。ただし、水は底深く飲むことができず、光圀公が井戸を覗き見たときに杖が井戸の淵にあたり、水がコンコンと湧き出でて難なく飲むことができた。その後、この井戸は「黄門の井戸」と呼ばれ、涼味溢れる水を永く土地の民に与えたといわれている。
北茨城市
杖で突いたら水が湧き出た、といえば…弘法大師ではないか。弘法さまにも諸国遍歴の伝説がある。水戸黄門は弘法大師の化身だったのかもしれない。
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