国道18号線で軽井沢に入ると「標高1003m」という標識が目に入る。道路標識風の色遣いで、かくも大きく示すことはなかろうに、とも思うが、標高が四桁というのは干拓地に住む人間にとってかなり衝撃的な数値だ。
四桁なのに地面が平らだ。平らといえば沖積平野しか知らなかった私は、軽井沢で高原という地形を学んだ。そういえば、このころ住んでいた東京に比べてずいぶん涼しかった。高冷地とはここのことであった。
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉に「遠近宮(おちこちのみや)」がある。1003mの標識から少し東へ行ったあたりだ。
それこそ、あっちこっちの神社を訪ねてきたが「おちこち」とは珍しい。軽井沢観光協会の発行するパンフレット「軽井沢をめぐる」には次のように解説されている。
遠近(おちこち)の里
昔、軽井沢一帯は人家が散在しており「遠近の里」とよばれていた。遠近の里の語源は、在原業平の『伊勢物語』の中の「信濃なる浅間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとかめぬ」の歌といわれている。借宿の遠近宮はその名残りで、安産の神様としても有名。
軽井沢で『伊勢物語』に出会うとは思わなかった。第8段に出てくるこの歌は「信濃の浅間山から立ち昇る煙は、あっちの人もこっちの人も見つけられるだろう」と意訳できよう。
この日は曇り空で浅間山の噴煙どころか、山そのものが見えなかった。自転車で国道18号線をそのまま東に向かい碓氷峠を越えると、もうペダルをこぐ必要がなかった。峠を越えたのではなく、崖から落ちていくようだった。
古来多くの人を通してきた碓氷峠。私とは逆に東から来た旅人で峠を越えて休まない者はいなかっただろう。あちらこちら各地の人が集う標高1003mの高原、それが遠近の里であった。
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