真夏の旅では水を見るだけで涼感が得られる。私は干拓地で育ったせいか清冽な湧水を見たことがなかった。それゆえ浅間山麓の古刹の池に湧く水のことは忘れ得ない。
長野県北佐久郡御代田町大字塩野の真楽寺に「大沼の池」がある。
水の清さにではなく、藻の鮮やかな緑に驚嘆したのだ。写真では明暗のコントラストがうまく表現できていないが、輝くような緑色だったと思う。暑くてペットボトルを空にした私は、これに湧水を詰めた。門前から南へ下る坂道で自転車に身を任せながら水を飲んだ時には、まるで清涼飲料水のCMのように爽やかだった。
池の中に龍がいる。この龍が「甲賀三郎」という名だと知ったのは最近のことだ。『朝日日本歴史人物事典』で「甲賀三郎」の項(執筆:宮田登)を読んでみよう。
信州諏訪明神として祭られた伝説上の人物。中世唱導物の典型である『神道集』の「諏訪縁起」で説かれている。近江国(滋賀県)甲賀郡の出身。その地の地頭で甲賀三郎訪方のこと。妻春日姫を天狗にさらわれたため、そのあとを追いかけるが、2人の兄のはかりごとにより蓼科山の人穴に突き落とされ、地底の国々を遍歴する。地底の国々には、農業を営む村々が多くあり、甲賀三郎は各村でもてなされる。最後に維縵国にたどりついた。そこは毎日、鹿狩りを日課とする狩猟民の村で、維摩姫から手厚く遇されて月日を過ごすが、春日姫のもとに戻る気持ちが高じて、ふたたび地上へ脱出をはかる。その間さまざまの試練に遭遇したが、やっと浅間岳に出ることができた。そして本国の近江国甲賀郡の釈迦堂にきて、自分の姿が蛇身になっていることに気づいて、わが身を恥じ隠れたが、蛇身を逃れる方法として、石菖の植えられている池に入るとよいことを知り、それを試みて元の姿に戻り、春日姫と再会することができた。
ふうむ、なかなかの伝奇ロマンのようだ。甲賀三郎が地上に戻ったという「浅間岳」、それが写真の「大沼の池」だったのだ。伝説の地に都市化が進み、すっかり日常の光景になっていることが多いのだが、この池はふところ深い浅間の自然と相まって何か不思議な魅力に満ちている。藻をエメラルドに輝かせていたのは当然真夏の太陽だと思っていたが、光源はやはり龍の鱗だったのかもしれない。